春日部共栄(埼玉)の硬式野球部を開校当時から45年間率いている本多利治監督(67)が、来年3月末で勇退する。生まれは高知・四万十。令和の今では高校野球界の主流となった「選手の自主性」を早くから重視した指導者でもある。「フッハハハハハハハハハッ」の高笑いに彩られた歩みを全4回でたどる。

9月、イスに座ってタイム測定をする春日部共栄・本多監督
9月、イスに座ってタイム測定をする春日部共栄・本多監督

1980年春、春日部駅の西口に降り立った。高知育ちの本多利治新監督、22歳はあぜんとした。

「いやぁ、山がねえな。フッハハハハハハハハハ。川がねえな、海もねえな。なんで俺、こんなとこ来たんだろうなと」

漫画「クレヨンしんちゃん」で話題になり、この11月で閉店するイトーヨーカドー春日部店も80年当時はまだない。「春日部駅から(3キロ近く先の)共栄が見えそうだったもん」という時代に着任した。

4年目に野球部専用グラウンドが完成するまでは、練習はひとまず校庭だった。掘ればいろいろ出てくるし、雨が降ると「湖になって1週間は使えない」という環境。それでも卒業生たちは夏を終えると「共栄で良かった」と感想文を書いて巣立っていく。

卒業生を何度か送り出したころのこと、OBたちと酒席をともにした。思い出話に花も咲いたが、ある言葉で酔いが一気にさめた。

「その時に聞いちゃったんですよ。『共栄』って書かれた遠征用のバッグ、あいつら、それを裏返しにして持っていたって聞いて。いやぁ、ショックだったですよね。ほんっっっとに。自分が通ってる学校なのに、その名前を隠すって。これはもう、学校を良くしなきゃダメだと」

進学校にしたい-。創立8年目の秋に県初優勝を果たしたものの、部の目標の1つに「野球部から東大生を出す」を掲げた。自主性を重んじる野球に転換し、寮にも学習コーナーを設けた。東大の野球部監督に練習視察に来てもらい、生徒を連れて東大グラウンドにも行った。「そんなことする高校野球の監督、います? 本気だったんです。でもね、これまで6人受けて全員ダメ。悔しいなぁ」と本気で悔しがる。

地域さえも変えようとした。埼玉東部は甲子園と縁遠い地。有望な中学生たちも皆、浦和や大宮、都内に目が向く。「交ぜてくれないか?」と頼み込んだのは東部地区の中学生指導者の会合。人と人とを結びつけたその流れから越谷西、鷲宮といった公立の甲子園出場校も生まれた。

冬には毎年、鬼怒川温泉で懇親会。「話題? 酔っぱらって覚えてねえな」と地域の関係性を深めていく中、気にかかる後輩がいた。花咲徳栄・岩井隆監督だ。「ピッチャーゴロ打って全力で走らない選手がいたり。事あるごとに試合後にベンチ裏に岩井を呼んで、話したんですよ。気合注入ですね。そしたらいつの間にか、あいつの方から来るようになって。フッハハハハハハハハハッ」。だから17年夏の花咲徳栄の全国Vは「うれしかったですよ」と素直に祝福した。

今夏は春日部共栄と花咲徳栄、昌平の東部3校がベスト4に残った。「昔は東部と当たれば楽勝なんて言われてたのに」と懐かしむのも今は昔。ありあまる情熱で流れを動かした。岩井監督は優勝し胴上げされた後、感謝を口にした。

「本多さんは、埼玉みんなの監督です」

そんな言葉を聞いたら、また「フッハハハハハハハハハッ」と高笑いするだろう。試合のテーマは「明るく楽しく元気よく」。そんな豪快な土佐のいごっそうも、たまには1人になりたい時もある。人知れず、行く場所がある。【金子真仁】(つづく)

◆本多利治(ほんだ・としはる)1957年(昭32)9月30日生まれ、高知県中村市(現四万十市)出身。高知高で3度甲子園に出場し、3年春に全国優勝。80年に春日部共栄監督に着任し春夏合計8度、甲子園に出場し、93年夏は準V。