「野球の国から」の新シリーズ「平成野球史」。第3回はパ・リーグを、野球界を変えた男、新庄剛志氏(46)の登場です。引退後、初めてというスポーツ紙の取材に応じ、阪神、米大リーグ、日本ハム時代のエピソード、当時の考え、今の球界に思うことまで、新庄流に楽しくぶっちゃけます。

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阪神からの総額12億円オファーを蹴って、新庄が選んだ新天地は、ニューヨーク・メッツだった。渡米直前には、愛車フェラーリ、メジャー初安打バット、ファッションアイテムから、ナマ電話権までを、インターネットで売り出した。

メッツとは年俸2200万円の格安契約。「(落札額を)ニューヨークの生活費にしま~す」。阪神で10年間プレーした後、新庄を待っていたのは、世界最先端の街、摩天楼を一望するニューヨーク、マンハッタンだった。

新庄 ニューヨークに行けるという喜びが強かった。でっ、一番困ったのは、マイナーの方の家にするか、6カ月払いのマンハッタンにマンションを借りるかで悩みました。お金もない。ホテル住まいの支払いもある。月45万円、1LDKですよ。高い。でも英語もわからないし、練習もあるし、サインするしかない。勝負かけたんです。

01年2月、ニューヨークから、キャンプ地のフロリダ・ポートセントルーシー入り。メッツの番記者たちが、日本人メディアの多さに驚いた。

同年、イチローもオリックスからポスティングシステム(入札制度)でマリナーズに移籍したが、新庄の話題性にはかなわない。ニューヨーク・タイムズ紙が「ジェームズ・ディーンがきた」と報じるほどだった。

新庄 おれ、そういうの大好き。うれしかった。ニューヨークを、新庄シティーにしたかった(笑い)。イチロー君はポスティングで取られたんですから、イチロー君の判断じゃないの。自分の判断(FA)でメジャーに行ったの、おれが最初だからね。

しかし、いきなりの「レッドカード」だった。バレンタイン監督から、メッツの青、黒、オレンジのチームカラーと異なるという理由で、赤色のリストバンド禁止を言い渡される。

00年日米野球で、米球界を代表する投手ランディ・ジョンソンから「レッドマン」といわれた男は、赤のマフラー姿でニューヨーク入り。阪神時代から、手袋も、左足につけるプロテクターも、赤が基調だったが、黒が中心になった。

新庄の公式戦初出場は代走だったが、本拠地開幕の4月9日(日本時間10日)のブレーブス戦は「7番」でスタメン出場。憧れのニューヨークで、いきなりホームランを放ってみせた。

新庄 前の年(阪神で年俸)8000万円稼いでて、全部使い倒してたから税金を払うのが大変でした。メジャーで活躍するしかなかったんです。

満員のシェイスタジアムに起きたスタンディングオベーションに応える新庄は、捕手マイク・ピアザから声をかけられた。「シンジョウ、役者みたいだぞ!」。海の向こうでも新庄劇場を地でいく主役だった。(敬称略=つづく)【編集委員・寺尾博和】


01年2月、競売に掛ける愛車の高級スポーツカー「フェラーリ360モデナ」の前でポーズをとる新庄
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00年12月、赤いマフラー姿でケネディ国際空港に到着した新庄
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