全国高校野球選手権大会が100回大会を迎える18年夏までの長期連載「野球の国から 高校野球編」。名物監督の信念やそれを形づくる原点に迫る「監督シリーズ」の第4弾は、PL学園(大阪)を率いた中村順司さん(71)です。

 プロ野球選手を夢見る球児だった中村さんは、指導者への道を歩みました。甲子園で歴代最多、春夏通算6度の優勝。名将に駆け上がっていく物語を全5回でお送りします。


 1月17日から21日の日刊スポーツ紙面でお楽しみください。

 ニッカン・コムでは、連載を担当した記者の「取材後記」を掲載します。


 昨夏の甲子園大会で、中村監督の口から中村監督の名前が飛び出した。甲子園初采配の中村良二監督(49)率いる天理(奈良)が27年ぶりに4強入り。準々決勝で明豊(大分)との打撃戦を制したあと、お立ち台で中村監督はPL学園・中村順司元監督(71=名古屋商大総監督)から電話をもらった話を明かした。初戦突破の直後に「おめでとう。天理はまた強くなるよ」と祝福された話だった。

 そのことを覚えていて、年明けに天理で中村良二監督に高校時代の逸話を聞いてみた。ともに全国制覇を目指した80年代、天理とPL学園は練習試合の定期戦を続けていた。中村良二監督も大阪・富田林市のPL球場を訪れ、試合をした。試合後にはお茶会も開かれた。

 「研志寮(PL学園硬式野球部寮)でケーキとお茶をいただいたんです。1人1人に行き渡っているか、中村監督がずいぶん気にしてくださって。監督さんがそんな細かいことまで気にされるんだ、と驚きました」と述懐する。甲子園で相手校を攻める姿と「みんな、ちゃんとケーキもらえてる?」とテーブルの上を気にする姿のギャップに目を丸くした。懐かしい思い出として胸に残る。

 野球をしているときだけではない。中村順司監督にとっては、どんなときでも選手は気になる教え子なのだ。縁あった他校の選手も同じ。岬の灯台があまたの船を照らすように、中村順司監督の関心事は学校の枠を超えている。教育者・中村を物語る話だと思う。【堀まどか】