全国高校野球選手権大会が100回大会を迎える2018夏までの長期連載「野球の国から 高校野球編」。元球児の高校時代に迫る「追憶シリーズ」の第4弾は、愛甲猛氏(54)です。横浜高の左腕エースとして1年夏に甲子園出場。そして3年時の1980年(昭55)には日本一に輝きました。孤独を好む、ワンマンだった少年が、恩師や仲間と成長していく姿を全15回でお送りします。

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 愛甲は逗子警察署の一室にいた。椅子に座り、下を向いていた。

 地元の不良仲間と遊んでいて警察に補導された。仲間は1人、また1人と親が引き取りに来て帰っていった。愛甲は母子家庭。母には仕事があり、すぐには来られない。それは分かっていた。待つしかなかった。

 「愛甲、迎えが来たぞ」

 警察官の言葉に顔を上げた。目の前にいたのは母ではない。横浜高野球部監督の渡辺元(のちに元智に改名)だった。2人は顔を見合わせた。交わす言葉はなかった。

 その4カ月ほど前、2人は甲子園にいた。15年ぶり2度目となる夏の出場に導いた監督と、彗星(すいせい)のごとく現れた1年生エースとして。人々の記憶はまだ薄れていなかった。暑い夏には想像もつかぬ、悲しい場面だった。

 この頃、愛甲は肩、肘、そして腰までも痛めて野球ができなくなっていた。エースの重圧。周囲からのねたみの目。プレーできれば、はね飛ばせる。だが、歩行にも苦しむ体では何もできなかった。

 愛甲は野球部の合宿所を飛び出した。生まれ育った逗子に戻り、友達の家を泊まり歩いた。久しぶりに再会した友人と悪さもした。たばこを吸い、シンナー遊びに手を出したこともあった。

 警察署を出ても渡辺は叱らなかった。

 「愛甲、戻ってこい。体を治して一からやり直そう」

 愛甲は首を横に振った。

「もうやめます。野球部も学校も… 体もこんなですから…」

 それきり会話は続かなかった。渡辺が34歳、愛甲は16歳の冬だった。

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 2人の出会いは1年半ほどさかのぼる。1977年(昭52)の夏。愛甲は久木中学の3年生だった。

 愛甲 ボクは中1までリトルリーグで、あとは部活。シニアがなかったから。中学3年の時に出た逗子市大会の審判に渡辺監督の知人がいらしてね。ボクのボールをいいと思って連絡してくれたんですよ。その縁で夏休みに横浜高の練習会に参加することになった。テストですよね。

 横浜高グラウンドで投球、打撃など一通りの練習をした。

 愛甲 先輩たちのプレーを見て、こんなレベルの高い学校じゃできねえやって思ってた。他に鎌倉学園、逗子開成から誘ってもらっていて、ここならできるかなと。でも、甲子園に行けるような高校でできるとは考えていなかった。

 合宿所で着替えていると、渡辺がそばにきた。当時は小倉清一郎が監督で、彼は一時的に部長を務めていた。

 愛甲 当時は渡辺さんのことも知らなかったんだけど、向こうはうちが母子家庭という事情も知っていたみたいでね。「何も心配いらないから、うちに来い」って言ってくれた。その場で「よろしくお願いします」と答えたよ。

 翌年の3月… 愛甲は「3月22日だね」と日付まで覚えている。合格通知を受け取るため横浜高へ行った。校内放送の「野球部に入部希望者は合宿所の食堂に集合してください」という案内に従った。すると黒板に書かれた「本日より入寮」の欄に自分の名前がある。

 愛甲 全然知らなくてね。慌てて家に帰って野球道具とか着替えとか、自分なりに分かる道具をバッグに詰め込んだよ。

 困ったのが仕事に出ている母への連絡だった。黙って出て行くわけにもいかない。

 愛甲 当時は携帯電話もないからね。紙に書いておいた。

 『長い間お世話になりました。今日から寮に入ります』

 そう書くと、急いで家を飛び出した。母との別れを惜しむ暇もなかった。波乱に満ちた高校生活の始まりだった。(敬称略=つづく)

【飯島智則】

 ◆愛甲猛(あいこう・たけし)1962年(昭37)8月15日、神奈川県逗子市生まれ。横浜高では甲子園に2度出場し、1年夏の78年は1勝1敗、3年夏の80年は決勝で荒木大輔を擁する早実を破り優勝。80年ドラフト1位でロッテ入団。1年目に早くも1軍デビューしたが投手として大成せず、84年から野手転向。8年目の88年6月から92年7月まで535試合連続全イニング出場のパ・リーグ記録をマーク。89年にはリーグ8位の打率3割3厘を残し、一塁手としてゴールデングラブ賞受賞。95年オフに自由契約になり、中日移籍。中日では主に代打として活躍し、99年には3割8分7厘の高打率でリーグ優勝に貢献した。00年に引退。通算投手成績は61試合0勝2敗、防御率6・70。通算打撃成績は1532試合、4244打数1142安打、108本塁打、513打点、打率2割6分9厘。引退後はタレント活動や、プロ野球OBによるマスターズリーグに参加。最近はニコニコ生放送で野球解説をしている。プロ現役時代は181センチ、87キロ。左投げ左打ち。

(2017年5月9日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)