西武の外野手だった山尾伸一さん(49)は、いつも思う。「自分は新庄剛志になれたんじゃないか」と。

 ただし、条件は付く。

 もし、高校時代に今の自分のようなトレーナーに出会っていれば…である。


高校生を指導する山尾氏
高校生を指導する山尾氏

 山尾さん(以下、敬称略) 体の使い方を教わって、トレーニングしていたらね。新庄君のように体をうまく使える選手になれたかもしれない。体のケアもトレーニングも、何も考えないでやっていたからなあ。


 スポーツトレーナーとして、福岡市内に治療院を営むかたわらで、アマチュア選手のトレーニング指導にも出向く。現在は豊後高田市の教育委員会に依頼され、月に5回ほど公立中学、高校の部活動でトレーニングや体のメンテナンスを指導している。


 山尾 柔道、ラグビー、カヌー、テニス、野球。いろいろな競技にかかわらせてもらっています。おもしろいですよ。普通の中学、高校生が成長していく姿に接することができます。競技の勝ち負けだけではなく、人を育てるつもりで行っています。


 現役時代に1軍の出場経験はない。腰を痛め、自ら退団を決めてトレーナーの道に入った。

 石毛宏典氏、清原和博氏、小久保裕紀氏、斉藤和巳氏、寺原隼人氏…そうそうたる一流選手の個人トレーナーを務めた。

 清原氏のトレーナー時代は特異な経験をした。巨人へフリーエージェント(FA)で移籍する直前の1996年から2001年まで。体のケアのみならず、身の回りの世話から車の運転手も務めた。

 清原氏の注目度が高く、常にマスコミから追われていた時代である。


 山尾 よくマスコミの車に追い掛けられましたね(笑い)。特にFA移籍の時は何台もの車が後ろを走ってきたり、バイクで追われたこともありました。知人のマンションの駐車場で車を乗り換えてまいたりね。そんなことも、いい思い出です。


 一流選手と過ごす日々。大きなプレッシャーを感じる一方で、華やかでもある。さまざまな経験を積み、山尾さんはプロよりもアマチュア選手とかかわる道を選んだ。


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 山尾さんは宮崎県都城市生まれ。県立で進学校の都城西高校に進んだ。甲子園出場はないものの、秋季宮崎大会を制し九州大会に進んでいる。

 1986年ドラフト6位で西武に指名され、プロ野球選手になった。同年の1位は森山良二、2位は中村日出夫だった。


西武時代の山尾氏
西武時代の山尾氏

 当時の西武は黄金時代。山尾さんが指名された86年は、森祗晶監督の1年目で日本一に輝いている。清原氏が打率3割4厘、31本塁打、78打点という成績で新人王を獲得した。

 伊東勤、清原和博、辻発彦、石毛宏典、秋山幸二、ブコビッチ…野手のレギュラーは固まっていた。山尾さんにチャンスはなかった。

 4年目の90年。山尾さんは春先に腰を痛めた。プレーどころか、歩けないほどの重症だった。


 山尾 もう寝たきりです。寮の部屋から動けず、食堂にも行けなかった。みんなに迷惑をかけましたね。


 入院して治療し、歩けるまでには回復した。ただ、選手としての限界を感じ始めていた。


 山尾 夏頃にはトレーナーの道へ進もうと考えていました。自分の腰が何で悪くなったのか、こういう選手を助けたい思いからです。


 1軍が日本シリーズを終えた頃、山尾さんは球団に連絡して幹部に会ってもらった。退団を申し出たところ、他球団からトレード話があると言われた。だが、断ってもらった。


 山尾 球団は契約してくれるつもりだったみたいです。あまり自分から辞める人はいませんよね。でも、自分で決めました。腰も悪かったし、入団時から「大学に行ったつもりで4年間」を一つの区切りにしていたんです。


 日本鍼灸理療専門学校に3年間通った後、最初は治療院に勤めた。Jリーグの浦和レッズに派遣されたこともあった。


 山尾 選手から「元プロ野球選手がサッカーのピッチに立つ気分はどうですか?」と聞かれましたね。不思議な気持ちでした。


 94年オフに石毛氏がFA宣言して、ダイエー(現ソフトバンク)移籍を決めた。同氏から「一緒に福岡に来い」と誘われた。個人トレーナーとして契約した。


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 石毛氏には、現役時代から自主トレーニングに連れて行ってもらっていた。


 山尾 石毛さんが自主トレで陶芸をやったでしょう。私も一緒に、ろくろを回しました。おかげで、今でも趣味でやりますよ。


 共に行動し、すぐに一流選手との差を感じたという。


 山尾 ああ、オレなんかがプロになっちゃいけなかったと思いました。億の金を稼ぐ選手って、こういう人なんだと。例えば打撃練習を始めるでしょう。まったくやめないんですよ。3時間でも4時間でも平気で打っている。練習が苦痛じゃないんでしょうね。あと、石毛さんは常に「どうやったらチームが強くなるか」を考えている人でした。


 マッサージをしている間も、野球の話ばかりだった。黄金時代の西武と、低迷していたダイエーとの差が話題になった。


 山尾 よく「お前はどう思う?」と質問されました。当時の西武はレギュラーが固まっていたから、選手はどうやってチームの役に立つかを考えていた。自分なりにチームの駒にならないと生き残れませんでしたから。そういう雰囲気がないと、石毛さんはそんなことを常に考えていました。


 96年限りで石毛氏が引退すると、今度は清原氏と契約した。ちょうど清原氏が巨人へFA移籍する年だった。契約内容に車の運転も入った。


 山尾 清原さんの時は24時間体制でしたね(笑い)。夜中の3時に「マンションのカギがない」と電話があって、急いで向かったりしました。常に合鍵を2個持っていましたよ。


97年、清原和博(右)の自主トレを手伝う山尾伸一トレーナー
97年、清原和博(右)の自主トレを手伝う山尾伸一トレーナー

 清原氏が移籍した後の3年間、巨人は優勝から遠ざかった。同氏は批判の的になった。


 山尾 清原さんはストレスだらけでしたね。死球や接触プレーなどアクシデントの故障も多かった。私もプレッシャーがありました。ただ、清原さんの体は強くて、素晴らしかった。私がかかわった方でNO・1は秋山さんです。石毛さんをケアする合間にマッサージしましたが、筋肉が柔らかくてフワフワしている。それでいて使う時にキュッと締まるスピードが早い。次が清原さんですね。


 その後、家庭の事情もあって故郷の宮崎に近い福岡に拠点を移した。小久保氏、寺原氏の個人トレーナーを務めた。


 山尾 転機はカズミくん(斉藤氏)とかかわったことでした。投手で芽が出ずに、外野転向も検討されていた。「球団に投手を続けたいと直訴するから、最後のチャンスを手伝って」と言われた。そこから沢村賞投手までになった。一流選手のケアは維持が主目的になるけど、カズミ君は成長だった。こっちの方が自分に合っているかなと思ったんです。もともと高校野球にかかわりたい気持ちもありましたので。


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 現在はアマチュア選手を中心にトレーニング指導や、体のケアをしている。経営する治療院では、スポーツ選手だけでなく、幅広い患者に対する。

 そのかたわらで、豊後高田市の教育委員会の依頼により、市内の中、高校を回って部活動を指導している。


 山尾 魅力ある部活動にしようという活動の手伝いです。市外の強豪高校に進学する選手が多いので、市内に残ってもらえるようにという意図です。


高校生を指導する山尾氏
高校生を指導する山尾氏

 豊後高田市の取り組みは興味深いので、同市の教育委員会が作成した資料の一部を抜粋する。



 ●スポーツ界の現状と課題

 スポーツにおいては、カヌーや柔道、空手、軟式野球、陸上などが盛んでスポーツ少年団や部活動においては全国大会や九州大会に出場し、活躍する部も少なくありません。

 しかしながら、小、中学校段階での活躍から一転、高校、社会人と年齢が上がるにつれて活躍の報告は減り、伸び悩み、やがてはスポーツをやめていくケースが見受けられます。大学、社会人で本格的に競技に取り組んでいる子もごくわずかです。


 こうした現状への対策を多々検討した結果、山尾さんに指導を依頼した。

 1年目を終え、報告書には「全てが斬新でした」などと評されており、新たな課題として「2年目のスタートは指導者に対する講習会からスタートしようと思っています」とある。

 また、今後の目標として「是非ともこの事業をきっかけに、才能を開花させ、先々まで夢を持ってスポーツに取り組む子供が1人でも増えてくれたらと思います」と書かれている。


 同市の期待は大きく、山尾さんには過去の仕事と同様にやりがいがある。


 山尾 楽しいですね。生徒たちと過ごす時間は本当に楽しいです。


 生徒たちとは競技以外の話もするという。


 山尾 異性の話とかね。女子生徒はスタイルを気にして「太ももを細くしたい」とか相談されるので、「スポーツ選手なんだから仕方ないだろ! 競技が終われば細くなるから心配いらないよ」とか話したり。楽しいですよ。


 自身の経験や、かかわってきた一流選手の話はしない。


 山尾 聞かれれば答えますけど…比べても仕方ありませんからね。それよりも「君はこういう練習をしたら、こうなれるよ」とか、そういう話をします。体の使い方をちょっと練習するだけで、プレーは大きく変わりますから。先生たちも練習を見に来てくれる。最初は「いなくても大丈夫ですよ」と言ったんですけど、先生に「いや、おもしろいから」と言ってもらいました。


 生徒たちが成長すると喜びを感じる。


 山尾 例えばラグビー部員の体が大きくなっただけでうれしいです。ちょっとしたきっかけで選手は変わりますからね。自分の高校時代にきちんとトレーニングしていたら、自分も新庄君みたいになれたかなと。そんなことを思いますよ。


 若者は、誰もが大きな可能性を秘めている。開花の手伝いが、今の大きな目標になっている。【飯島智則】