なんとも無念です。阪神は9月11日、同10日の巨人戦(甲子園)で死球を受けた狩野恵輔外野手(32)が検査の結果、「右手第5中手骨骨折」と診断されたと発表しました。

 この試合、9回に巨人沢村から死球を受けた狩野はいったんベンチに下がったものの、走者で戻っただけに「大丈夫かな?」と思っていましたが、翌日、深刻な結果が待っていました。

 こういう仕事をしていると、取材は分け隔てなくしているつもりですが、やはり人間、性格が気に入ったり、その反対だったり場合があります。その意味で狩野は本当に気持ちのいい男です。

 虎党ならご存じでしょうが、狩野の選手生活はここまで恵まれたものではありませんでした。特に言われるのが09年から10年にかけてのことです。

 09年は当時正捕手の矢野の故障もあり、初めて開幕マスクをかぶりました。リードはもちろん、打撃センスも見せるなど活躍を続け、このシーズン、終わってみれば自己最多の127試合に出場。ついに阪神に待ちに待った生え抜きの捕手の誕生か、と期待されたものです。

 しかしこの年のオフに城島健司が米大リーグから阪神に電撃復帰。大きな話題を提供する影で、狩野の出番は減り、打力を生かすために外野手に転向を図ることになりました。さらに椎間板ヘルニアを患うなどの故障もあり、ここまでレギュラーにはなれず、1、2軍を行き来する生活を過ごしています。

 それでも今季は4月に1軍昇格、死球の10日までずっと1軍で過ごしていました。出場試合数も09年に次ぐ66試合にまでなり、なによりも、最近は阪神お家芸の「代打の切り札」としての存在感を示していたのです。

 今季は7月1日ヤクルト戦(神宮)でプロ入りして初めて「3番右翼」でスタメン出場も果たしました。

 「そりゃ、もう! だって3番ですよ!? 本当にうれしかったですよ」。3番打者になってどうだった? と聞いた私に対して、率直に答えた表情が忘れられません。

 これからの残り試合。阪神が優勝するにしてもダメだとしても、もっともしびれる時期なのは間違いありません。そこに参加できない狩野の不運。ため息が出て仕方がないのです…。