まるで、最後の夏が終わったようだ。敗戦直後の西武台ベンチ。ほとんどの選手が地面に突っ伏し、声にならない声をあげていた。

「ウ、ウ、ウ、ウ…」

「あと少しだったのに!」

「クソッ! クソッ! クソッ!」

かけた思いが、ひしひしと伝わってきた。

21日に高崎で行われた秋季高校野球関東大会。西武台(埼玉2位)と高崎健康福祉大高崎(群馬3位)の準々決勝は、見応えのある投手戦だった。2-2で9回裏へ。1死一、三塁となり、西武台内野陣は前進守備を敷いた。ここで、増田優真投手(2年)は狙い通りの二ゴロを打たせた。ところが、小松大空主将(2年)がファンブル。ぬかるむグラウンドにグラブが引っかかった。「自分のミスです。甲子園まで、もう少しだったのに。申し訳ないです」。消え入るような声だった。

キャプテンをかばうように、増田は「先頭の四球が良くなかったです」と言った。9回先頭にストレートで与えた。2ボールとなった後、マウンドでしゃがみ込むような姿勢を取った。ケガでもしたのか? と思わせたが、違った。「気持ちを落ち着かせようと…ダメでした」。今夏県大会は、4回戦で鴻巣にサヨナラ本塁打を打たれた。9回表の好機を逸した直後、初球を痛打された。この日も9回表に2死満塁をつくったが、勝ち越せなかった。その裏の先頭にボールが続き、夏のことが頭をよぎったという。1発はなかったが、結局、四球の走者にサヨナラ負けの生還を許した。

もっとも、増田はよく投げた。7安打3失点(自責2)。直球は最速130キロに満たないが、キレがあった。サイドに丁寧に投げ、カーブ、チェンジアップで打ち気をそらした。5回には1死満塁を招いたが、右打者の懐へクロスファイアをねじ込み、連続ファウルフライで切り抜けた。

さらに、計測不能の超スローカーブまで。6回2死走者なしで、8番戸丸への初球。ボールになったが、カウント1-1から再び投げた。今度も外れたが、打者をじらさせるのには十分だった。次のチェンジアップで一邪飛に。「自分の変化球が分かられてきたので、この秋からやってます」と研究熱心だ。

勝っていれば、春夏通じ2度目の甲子園出場が濃厚だった。西武台は31年前、昭和最後のセンバツ甲子園に初出場。初戦となった2回戦で福井商に10-4で快勝。3回戦で、準優勝した東邦に0-1と惜敗した。3番右翼は増田の父、要さんだった。センバツ出場校の選考は予断を許さないが、増田は「お父さんの記録を超えたかった」と悔しそうだった。

自力で甲子園に出るチャンスは、もう来夏しか残されていない。「目標の甲子園へ、あと1歩で負けてしまいました。コントロール、キレは自信がありますが、スピードが足りない」と冬の課題を挙げた。正面を向く目に、涙はなかった。【古川真弥】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「野球手帳」)

高崎健康福祉大高崎対西武台 サヨナラ勝ちし喜ぶ高崎健康福祉大高崎の選手たち、捕手は伊沢(撮影・鈴木正人)
高崎健康福祉大高崎対西武台 サヨナラ勝ちし喜ぶ高崎健康福祉大高崎の選手たち、捕手は伊沢(撮影・鈴木正人)