1997年(平9)夏、17年ぶりに出場した秋田商から「小さな大投手」が誕生した。167センチ(当時は公称169センチ)の左腕・石川雅規(現ヤクルト)が、初戦で浜田(島根)の2年生エース和田毅(現カブス)との投げ合いを制してサヨナラ勝ち。公立校同士の1回戦は、のちに球界を代表するサウスポー2人の名勝負となった。

97年夏 力投する秋田商の石川
97年夏 力投する秋田商の石川

 秋田からやってきた体重58キロの左腕は、甲子園の雰囲気にのまれていた。初回に2四死球を出すなど制球に苦しみ、先制を許した。

 石川 初めての甲子園で、全国大会も初めて。3回くらいまでは緊張してたと思うし、暑かったことばかりが記憶に残っています。

 その後は打たせて取る本来の投球を取り戻し、9回152球で3失点。粘りを見せたが、打線が和田の前に4安打と抑え込まれた。

 石川 和田くんの映像とかは見ていました。決して球は速くないけど、実際に打席に立ったらキレがすごかった。全国にはすごいピッチャーがいるんだなと思って、面食らいましたね。

 1-3で迎えた9回裏、ドラマが待っていた。無死から連続安打でチャンスをつくると、4番佐々木雄のバントを和田が一塁へ悪送球(記録は安打と失策)。これをカバーした右翼手の内野への返球もそれる間に2人が生還して同点。さらに2連続敬遠で無死満塁となり、3打数ノーヒットの8番石川に打席が回った。

 石川 和田くんの表情が印象深かったですね。彼は2年生エースで、3年生の思いも背負っていた。僕の打席は全然ストライクが入らなくて、ぶつぶつマウンドでつぶやいてたんですよ。これは平常心ではないと思った。逆だったらどうしよう、という気持ちで打席に立っていた気がする。

 カウントはノーストライク3ボール。4球目も高めに外れ、1度もバットを振ることなくサヨナラ押し出しで試合が終わった。喜びを爆発させたナインとは対照的に、石川はバッターボックスに立ち尽くした。

 石川 押し出しの瞬間はうれしいというより、ぼうぜんとしてしまって。一塁に行くのを忘れていました。押し出しは初めてだったし、同じ投手として気持ちがわかるから、喜んじゃいけないと思いました。

97年夏1回戦のスコア
97年夏1回戦のスコア

 浦添商(沖縄)との2回戦で、アクシデントが石川を襲った。第1打席にバントで左手人さし指を挟み、第2打席は投球が左手首を直撃。腕が腫れ上がっても、マウンドに立ち続けた。

 石川 手首の力が入らなくて、何を投げても打たれるような感じだった。秋田ではあんなに打たれたことはなかったし、全国のレベルを痛感しました。

 2回戦で敗退したが、最初で最後の甲子園が石川の野球人生を変えた。

 石川 3年の夏の前までは、卒業したら地元で就職して、社会人で野球を続けられたらいいなと思っていた。甲子園に出なければ、青学大にも行けなかった。出ないといけない条件の中で、出られたのは運が良かった。いろんな面で恵まれていましたね。甲子園がなかったら今はない。ひとつ歯車が狂ったらプロに入れなかったと思うと怖いし、不思議だなと思う。甲子園では、もっともっと強い相手と戦いたかったですね。

99年4月 青学大当時の石川
99年4月 青学大当時の石川

 高校時代から変わらない巧みな投球術で、プロ13年で2ケタ勝利を10度マーク。月日が流れても、聖地での記憶が薄れることはないという。

 石川 今でも甲子園で試合をすると、心地よい感じとか思い出がよみがえってきます。やっぱり原点なのかなと思いますね。できることなら、もう1度秋田商に戻って甲子園のマウンドに立ちたい。【鹿野雄太】