打球は一瞬にして右翼席に吸い込まれた。高知商の4番打者、藤高祐一郎外野手(3年)が放った今大会第1号。山梨学院戦の3回2死二塁の場面で飛びだした。「完ぺきです。ストレートを待っていました」。藤高の顔がほころんだ。

 大会通算1598本目になった。第1号は1915年8月18日、開幕試合の鳥取中-広島中で飛びだしている。広島中の中村■元一塁手が9回2死二、三塁で中越えに放った。草むらに飛び込み、ホームインしたあとも、まだその中にあったといわれる。

 週刊朝日の59回大会増刊号に鳥取中・中村延孝中堅手の「証言」がある。「すごいライナーで、背の低い私の頭の上を越されちゃった。それだけならよかったが、球がぼうぼうにはえた草の中に入っちゃって」。当時の会場、豊中グラウンドに外野フェンスはなく、棒を打ち込み、縄を張って仕切りとしたようだ。

 藤高の打球は甲子園の右翼中段近くまで飛んだ。本人が言い切った。「人生で一番飛んだホームランだと思います」。【米谷輝昭】

※■=隆の生の上に一