2年ぶり9度目出場の八戸学院光星(青森)が龍谷大平安(京都)に1-14で2回戦敗退に終わった。ベンチ入り唯一の八戸出身、先発右腕のエース福山優希(3年)が3回途中で5安打6失点でKO。打線も散発5安打1得点に封じられた。14年春、16年春と連敗中の因縁の相手に完敗。光星の13点差負けは、11年夏の甲子園決勝で日大三(西東京)に0-11で敗れた11点差を更新するワースト記録。4年ぶりの3回戦進出はならなかった。

 甲子園の魔物が、出る幕もなく敗れた。先発福山は自らの失策で首を絞めた。初回を3者凡退に切って迎えた2回無死一塁。バントを処理したが、二塁へ悪送球。その後、適時打と味方失策で3点を失った。3回には3連打を許し降板。後続2投手も合わせ計17安打を浴び、完敗した。

 福山 しぶといチームだった。低めを振ってくれなかったり、自分のやりたい投球をさせてくれなかった。(二塁悪送球は)焦って球が指にかからなかった。何とか勝ちたかった。申し訳ない。

 ライバルの存在があったからこそ、甲子園にたどり着けた。福山にとって、今大会からメンバー入りした左腕の成田太一(3年)は、2人が同時に1年春からAチーム入りして以来の好敵手。その成田が左肘痛からの復帰が延びて、今夏の青森大会はベンチから外れた。福山は「どっちが背番号1をつけるか、常にムズムズした感じ。小競り合いもあった」と、成田との関係が気まずかったことを明かした。それでも「乗り越えて2人でやってこられた」と、甲子園に成田を連れて行くと決意。決勝の前日には「お前の分まで甲子園に行くから」と宣言し、閉会式では成田に優勝メダルを首からかけてあげた。

 一方の成田は8月に間に合うように調整し、甲子園でメンバーに復帰した。「自分は甲子園に連れてきてもらった。感謝しかない」。この日、福山の後を受けて2番手で登板した際は福山から「ごめん、頼んだぞ」と言われ、「分かった」と短く返事をした。甲子園で投げられる喜びを感じながら、5回5安打2失点と粘って意地は見せた。「あいつがおったからこそ、成長できた」。試合後は涙を見せず、福山に感謝した。

 八戸出身で右腕の福山に対し、大阪出身で左腕の成田。好対照の2人だったが、最後は甲子園で結ばれた。3番手がマウンドに上がった後はベンチで2人が並んで、声を出した。3季連続全国準優勝の光星に憧れて入学してきた福山は「光星に来てよかった。成田はケガもあったけど、一緒に支えてこれて、甲子園で終わることができた」と最後は涙した。入学してから切磋琢磨(せっさたくま)してきた日々が、聖地で大団円を迎えた。【高橋洋平】