札幌など7地区で代表決定戦が行われ、1987年(昭62)創部の札幌平岡が江別に4-3で競り勝ち、3季通じて初の道大会出場を決めた。

旭川地区の旭川北は右腕エース伊東佳希(3年)が15奪三振の力投で留萌打線を完封し、13年ぶりの代表切符を獲得。空知地区では滝川が岩見沢農を2-0で下し、29年ぶりに地区を突破した。1日は札幌、小樽地区で代表決定戦5試合が予定され、南北大会の出場校が出そろう。

   ◇   ◇   ◇

絶叫が球場に響き渡った。9回2死1塁、旭川北の伊東が留萌4番佐野へ投じた、110球目。126キロの縦スライダーが捕手のミットに引き込まれた。15三振を奪ったエースの雄たけびを合図に、全校応援の一塁側スタンドが沸き返る。13年ぶりの北大会を決めた背番号1は「ずっと行けなかった北大会にいけてうれしい」。9回3安打無四球の投球内容以上に、まだ夏が続く喜びをかみしめた。

校舎に隣接する旭川スタルヒン球場で毎年、開催される聖地を目指す戦い。06年からチームはその舞台に立てなかった。昨夏は地区2回戦で敗退。北大会期間中、伊東は教室で授業を受けていた。外から聞こえてくる打球音や歓声が今も頭に残る。「悔しかった。授業も頭に入らないぐらいだった」。高校入学後、遊撃手と兼務していた投手に新チームからは専念した。冬季練習では岡流聖捕手(3年)とシュート回転する直球の改善に取り組んだ。

昨秋、今春は計4試合全てで完投。春に最速145キロを計測した直球と、オフに走り込んだ体力には自信があった。あとは変化球だけ。夏に向けて笹森敦監督(51)にドジャース前田健太(31)の変化球の握りを薦められた。幼少期はパズルが得意。手先は器用だ。短期間で縦横2種類のスライダーを習得した。

17三振を奪った旭川南との初戦(2回戦)を含め、2試合で32奪三振。この日は伊東対策として、マシンで150キロを打ち込んできた留萌打線から先発全員、毎回奪三振を記録した。「(北大会も)0点で抑えられれば、1点だけでも勝てる。甲子園を目指したい」と伊東。15年ぶりの聖地切符獲得へ、172センチ、68キロの小柄なエースは右腕を振り続ける。【浅水友輝】

▽旭川北・笹森監督 (同校0B。就任6年目で3季通じて初の道大会出場を決めた)今まで卒業していった先輩たちの思いもあった。(伊東には)ナイスボールを投げるよりも、勝てる投手になれるようにと伝えてきた。