新生の創志学園(岡山)が「門馬イズム」で5回コールド勝ち発進した。高校野球秋季岡山大会の東部地区予選が28日に同県で開催され、今秋就任した門馬敬治新監督(52)が初陣。「野球人生で初回9点取られた公式戦はない」と苦笑いする嵐の船出になった。プレーボール直後に7点先制したが、先発の横田拓海投手(2年)が不調。岡山御津・倉敷鷲羽・備前緑陽との3校連合相手に7安打3四球と乱れても、イニング途中で降板させなかった。

「もっと早く代えるべきだったが、あえて投げさせた。彼に時間と空間を与えて何を感じるか。後ろに背負う番号は『1』だ」

本来は外野手で、降板後に左翼で守らせる案も出たが却下。「レフトに残したら僕は野手もやるから、という感覚になる」。自覚を持たせるため、1回9失点を背負わせた。公式戦初戦から非情采配に徹した。

東海大相模(神奈川)で春夏甲子園4度優勝の名将だ。序盤は口数少なく見守ったが4回以降、ベンチで声を張り続けた。「感情を言葉に出せ。試合中、ずっとしゃべる感じだよ。打った瞬間『ナイスバッティング!』だ。リズムを作るのが言葉だ」。それまでは仲間の安打でも掛け声がワンテンポ遅れていた。ベンチの雰囲気は一変。猛攻で5回コールド勝ちを決めた。

新チームの初顔合わせで選手に伝えた。「ヒット打ってガッツポーズはナシ。ミスがいっぱいある」。塁上で喜ぶ暇があれば、相手のスキを突いて先に進め。走塁改革をうながした。「同じユニホームを着て、仲間と1つの目標に向かえる。同志なんです。大会に出る以上、一番上を目指す」。新天地で名将の情熱がほとばしった。【酒井俊作】

◆門馬敬治(もんま・けいじ)1969年(昭44)12月18日生まれ。神奈川・横浜市出身。東海大相模から東海大に進み、原貢監督の下、マネジャーを務めた。同大コーチを経て95年に東海大相模赴任。コーチから、99年に監督就任。甲子園は12度出場、4度優勝(00年春、11年春、15年夏、21年春)。通算30勝は歴代15位タイ。主な教え子は巨人菅野智之、広島田中広輔、中日小笠原慎之介ら。