「奇跡の復活劇」を果たした仙台育英(宮城)岩崎生弥内野手(3年)が、仙台6大学野球の東北学院大に進学することが4日までに分かった。

夏の甲子園では全5試合に出場。下関国際(山口)との決勝で満塁本塁打を放つなど、東北勢悲願の日本一に大きく貢献した。昨年6月には「逆流性食道炎」を患い、約2カ月の自宅療養を余儀なくされるなど、どん底も経験した。山あり谷ありの高校野球を終え、4年後のプロ入りを視野に新たなステージでさらなる飛躍を期す。

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仙台6大学野球に風穴をあける。東北学院大進学が決まった岩崎は野心にあふれた表情で決意を口にした。

「(仙台6大学野球で)実力が抜けているのは仙台大と東北福祉大だと思っている。自分はそれを変えて2強のイメージを壊したい」

仙台6大学野球は過去10年、東北福祉大と仙台大が春秋のリーグ優勝を分け合っている。東北勢悲願の大旗白河越えを成し遂げた岩崎が東北学院大を、12年秋を最後に遠ざかるリーグ制覇へと導く。「試合では一塁を守っていたけど、大学では中学生以来の二遊間で勝負したい。自分に自信もあります」と意気込んだ。

あの歓声は一生忘れられない。今夏の甲子園、下関国際との決勝。4-1の7回1死満塁だった。真ん中高めの直球を振り抜いた打球は左翼席最前列で弾んだ。大一番の試合を決定づけるグランドスラム。劇的過ぎる一打にスタンドは総立ち。万雷の拍手が鳴り響く中、ダイヤモンドを周回した。「今でも余韻がある。公式戦初本塁打でもあったので鳥肌がずっと立っていた。一生忘れられない夏になった」と満面の笑みを浮かべた。

崖っぷちを乗り越えた。昨年6月、病魔が突然、岩崎を襲った。練習中に息苦しさを感じ、吐き気に見舞われた。「逆流性食道炎」の診断で寮を一時離れ、約2カ月の自宅療養を余儀なくされた。大好きな野球ができない日々。気持ちはどん底に沈んだ。そんな時、同学年の仲間から毎日のようにLINEが送られてきた。

「絶対、戻って来いよ」。待っていてくれている仲間の存在は大きかった。岩崎は「家では1人だけど、1人じゃない感覚。チームを離れていても、チームにいるような感覚だった。苦しい時もあったけど、仲間との思い出もいっぱいあった。3年間最高でした」と完全燃焼でやり切った。

「将来はプロ野球選手になって、自分を見て野球人口が増えるようなプレーヤーを目指したい」。夢を膨らませ、新たなステージへと向かう。【佐藤究】

◆岩崎生弥(いわさき・いくや)2004年(平16)6月7日生まれ、宮城・大崎市出身。小学1年から大崎ジュニアドラゴンで野球を始め、古川中では軟式野球部所属。17年にU-12日本代表に選出。仙台育英では3年春にベンチ入り。169センチ、68キロ。家族は両親と兄、妹。好きな食べ物はハヤシライス。右投げ、右打ち。