ミスタープロ野球、長嶋茂雄さんが89歳で亡くなって1年。美食家の長嶋さんが愛した逸品料理から、長嶋さんの記憶をたどります。最終回は東京・日本橋の「誠」。これぞ「日本のステーキ」に込めた長嶋さんの思いを聞くことができました。【取材・構成=沢田啓太郎】
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看板はどこにもない。表通りから中に入り、建物と建物の間にできた狭い路地に足を踏み入れると、「誠」はあった。ドアを開けるのもためらわれるくらい、ひっそりと、静かにたたずんでいる。私は思いきってドアを開け、来訪の目的を告げた。
「こちらが長嶋さんにお出ししていたヒレ250グラムになります」
店主の高山正義さん(82)が目の前でステーキを焼いてくれた。ソテーしたタマネギの上に、ミディアムレアの肉を乗せただけの、超絶シンプルな一品。お皿には伊豆産のわさびが添えられていた。
ステーキは食べやすい大きさにカットされている。箸を使う。かむ。しっかり肉の味がする。柔らかいが、よく口の中で溶けると言われるステーキとは違う。赤身と脂肪のバランスが絶妙と言うべきか。わさびをつけると、さらに肉の味が引き立った。
「ステーキにわさびをつけたのは、うちの店が最初だと思います。わさびは脂肪分が多すぎると逆に合わないんです」
高山さんの肉選びに産地や等級は関係ない。長年付き合いのある問屋が持ってくる国産牛のヒレやロースを触って確かめ、これだと思う肉しか選ばない。
「産地やランクは聞きません。先入観を持たずに選ぶようにしています。サシ(脂肪分)は控えめ、あまり硬くなく、中絞まりの肉がいい」
肉は鉄板で2、3回ひっくり返して、表面が硬くならないようにミディアムレアに焼く。すると、あの絶妙なバランスのステーキに仕上がるのだ。
あまりのおいしさに、ステーキの話ばかりしてしまった。長嶋さんの思い出話を聞かねば。
「現役時代には厚さ1・5センチ、300から400グラムのヒレをお出ししていました。監督になられてから、先ほどお出ししたサイズが定番です。いま、あなたが座られている場所が長嶋さんの定位置ですよ」
1階はカウンターのみで8人も座るといっぱいになる。厨房(ちゅうぼう)を囲んで奥から2つ目の席が長嶋さんの定位置。高山さんが肉を切り、焼くところを横から眺めることができる。
「誠」は先代の店主が戦後から始めた。長嶋さんは大学時代に来たことがあるらしい。昭和42年(1967年)に店に入った高山さんは、先代のもとで修業し、先代が病気で亡くなったため店を継いだ。長嶋さんは現役晩年、証券会社の人に連れられて再訪。その2、3日後にふらっと1人で現れて、そこから通うようになったという。
「ある時、高校時代の恩師と一緒に来られて、うちの2階でしばらく話をされたあとに、1階に降りて食事をされました。数日後に現役引退を正式に発表されて大変驚きました。おそらく恩師の方に引退の報告をされていたのでしょう」
「誠」で誰かと一緒にステーキを食べるのは、長嶋さんにとって特別なことだったのだろう。2度目の巨人監督時代、シーズンが始まる前に必ず選手を1人呼んで、ここでともにステーキを食べたという。
「その年に期待する選手をお連れになっていました。松井(秀喜)さん、高橋由伸さん、仁志(敏久)さんらがお見えになられました」
名誉監督になってからも開幕前の儀式を続け、菅野智之(ロッキーズ)や長野久義さんらを連れてきたという。大リーグに挑戦した松井さんとは、毎年アメリカ出発前と帰国後にステーキを食べていたというから、やはり特別な関係だ。
2018年(平30)に胆石を患う前まで、長嶋さんは2、3カ月に1度のペースで来店していたという。ステーキのあとはかつお節を乗せたごはんを食べ、メロン、ブランデー入りのコーヒーで締める。このコーヒーがまた美味で、スペシャルな食事の余韻に浸ることができる。
「長嶋さんがいらしてもほかのお客さんを入れるのですが、一般の方と並んでも嫌な顔一つされたことはありません。サインや写真を頼まれれば絶対に断りませんでした」
歴代の日本の総理大臣もお忍びで通った店。長嶋さんにとっては、野球人であり、スーパースターの「長嶋茂雄」である自分を、あらためて確認する場所だったのかもしれない。(終わり)
◆誠 東京都中央区日本橋本町1ー4ー5。東京メトロ銀座線三越前駅から徒歩3分。営業時間、昼は午前11時半から午後2時、夜は同5時から同9時。土、日、祝日定休。03・3241・7502。




