“日本一”の記録員が、「戦国東都」で再スタートする。昨夏の甲子園で東北勢悲願の初優勝を成し遂げた仙台育英(宮城)田沢優斗記録員(3年)が、東都大学野球リーグ1部、駒大へ進学。選手としてのプレーに区切りをつけ、硬式野球部のマネジャーとしてチームを支えていく決心を固めた。「将来を考えた時に、選手より別の選択肢を模索した。マネジャーでやっていく決心がついた」。悩み抜いた末にたどり着いた答えだった。

陰のヒーローだった。3年夏。チームの勝利のために裏方に徹する覚悟を持った。甲子園は記録員としてベンチ入り。仲間へ声をかけ、助言を送り、控えの3年生部員15人で結成された「データ班」のリーダー役も担った。対戦相手の投手のクセや球種、各打者の特徴などを徹底的に分析。レギュラー陣に情報共有したことが本番で生きた。「ベンチメンバー、ベンチ外の選手たちの応援、チーム運営、みんなでつかんだ東北勢初優勝だった」と胸を張った。「ワンチーム」が実を結んだ。

甲子園優勝後には須江航監督(39)と抱き合い、ねぎらいの言葉をもらった。「頑張って良かったな。(佐藤悠斗)主将と同等の働きをしてくれた」。田沢は「うれしかった。3年間、やってきて良かったなと思える瞬間でした」。入学当初に抱いた「高校3年間、選手として活躍したい」という、思い描いた通りにはいかなかったが悔いはない。「選手としてはうまくいかなかったことの方が多かった。でも、人間的に多くの学びを得られたことが良かった」と、やり切った表情を見せた。

大学生活に向け、新たな目標を掲げた。「選手との距離感を大事に、選手にずっと寄り添い、選手と監督から信頼されるようなマネジャーになりたい」と誓った。【佐藤究】

◆田沢優斗(たざわ・ゆうと)2004年(平16)4月6日生まれ、宮城県出身。小3から城南ベアーズで野球を始め、中学時代は秀光中教校軟式野球部(現秀光ボーイズ)に所属。2年時に全国中学校軟式野球大会で準優勝。仙台育英では3年夏に記録員でベンチ入り。179センチ、78キロ。右投げ右打ち。