3点ビハインドで迎えた9回、利根商の攻撃は1番の阿部岳琉(たける)主将(3年)から。打席に入りバットでホームベースの両端を2度軽くたたくルーティンは変わらない。「0点では終われない」と低めの変化球に食らいついた打球は中前に弾んだ。

けん制悪送球で二塁に進むも、後続が2者連続三振。2死二塁で打席には岳琉の双子の兄峻介外野手(3年)が立つ。右の手のひらをヘルメットに置きバットを投手方向に向けるルーティンは弟と違う。二塁ベース上からは弟が祈るような表情で兄に声を張り上げる。兄は表情を崩さず静かにうなずいた。

「何とかして打ちたい」。カウント3ー2からの7球目を捉えると打球は左中間へ。二塁から岳琉が生還し、峻介も塁上でガッツポーズ。スコアボードに「1」が刻まれた。2人とも今日の初ヒットだった。だがあと1歩、及ばなかった。

双子でも、何かと正反対な部分が多い。兄は幼い頃からもの静かだが、弟は中学時代に生徒会長を務めるなど前に出て行く。でも「峻介は動物に優しいんですよ」とおとなしい兄の人柄を話す。高校受験の時も、お互い志望校は別だった。2人が野球を始めた小学3年の時もそうだ。「どうしても野球がやりたい」という兄と、「サッカーがやりたい」という弟で意見が真っ二つ。「もう強引にチームに入った」という兄につられて、弟も「しかたなく」野球を始めた。だがそんな弟を見た父の正行さんが毎日自宅の庭でキャッチボールをしてくれた。そのおかげで「野球が楽しいと思うようになった」と笑顔だ。野球への思いは2人とも一緒になった。

だが小学5年の時、父の正行さんがガンで他界した。ショックで2週間野球ができなかった。母の恵美さん(51)が2人を再び野球へ導いた。「自分が一番つらいはずなのにそれを全く見せなかった」(峻介)と母の支えもあり、再びグラウンドで白球を追った。高校球児になっても、自宅から最寄りの駅まで15~20キロの道のりを母が送迎してくれた。

最後の夏、母は家族の写真をバッグに忍ばせていた。「家族のためにも打とう。お母さん、どんな時でも絶対泣かないでね」と息子たちのメッセージを朝の運転席で聞いた。土壇場での息子たちの大活躍に「お父さんも見てたと思う。本当に悔いのない試合。本当に感動しました」と涙した。

9回、峻介が打席に入ると二塁走者の岳琉は空を見上げていた。「神様が用意してくれた舞台かなと。家族みんなの思いも…」。試合後にその場面を振り返り声を詰まらせると、2人の目からは大粒の涙がこぼれた。

大会前に「家族に元気な姿を見せたい」と2人が口にしていたように、この日の記憶は阿部一家に刻まれた。一緒に続けてきた野球もここまで。来年からは社会人として家族に元気な姿を見せる。球場からの帰り際、「今日はお母さんに豪華なものを食べさせてもらおうかな」。兄弟は笑顔で言い残して球場を後にした。【黒須亮】

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