西城陽が鳥羽に敗れ、初戦で姿を消した。
常にリードを許しながらも、粘り強く加点を続けたが、届かなかった。元横浜(現DeNA)投手の染田賢作監督(41)は、「もう少し競った試合ができたと思うが、辛抱しきれなかった」と悔やんだ。
染田監督にとってこの試合は、何とか結果を出したい一戦だった。母校である郡山(奈良)を率いた恩師・森本達幸さんが、6月に亡くなった。葬儀にも参列した染田監督は、「森本監督に代わって、甲子園に行けたらと、ずっと思っています」。恩師に届ける勝利を目指したが、惜しくも来年以降へ持ち越しとなった。
指導のベースは、「本当に森本監督にしっかり野球を教わった」という自身が経験した高校3年間にある。
その神髄は、「勝負に対する思いの強さ」だという。「揺るがない信念があって、どんな試合でも絶対勝ちにいく。何点差であっても、1つのアウト執着すること」。厳しい練習も多かったというが、「それぐらいの練習をしないと、夏の大会ではなかなか力が発揮できないのかな、と思うようになりました」と恩師の指導を思い返しながら、試行錯誤を続けている。
いい報告ができるのはもう少し先になったが、「僕は『森本野球』をよく理解してるつもり。継承しながら、これからもやっていきたいと思います」と力を込めた。

