仙台育英は史上7校目となる夏連覇を逃した。6点を追う9回2死二塁、1番橋本が左邪飛に打ち取られて試合終了。敗れた須江航監督(40)は慶応に向けて何度も拍手を送った。「不思議ですね。何かもっと悲しいのかなと思ったんですけど、慶応さんをたたえたいと心から思いましたね」。定期戦を行う同志をリスペクト。その上で「2年連続決勝の舞台に立てるなんて奇跡ですし、金メダルと銀メダル2つを持ってるのって幸せな人生だなと思います」と振り返った。

指揮官の座右の銘は「人生は敗者復活戦」。その理由は「僕の歴史は負けてから常に動いている」からだ。小学2年から野球を始め、中学時代は地元で有名選手だったという。だが、仙台育英入学直後、あまりのレベルの高さに「場違いなところに来た」。選手では生き残れないと悟った。2年秋から学生コーチに就任。八戸大(現八戸学院大)でも同様に学生コーチを務めた。その「裏方経験」がリーダーとしての礎だ。

忘れられない1敗がある。21年7月17日。宮城大会4回戦で仙台商に屈し、甲子園行きを逃した。18年の監督就任後、春秋含め県大会で喫した唯一の黒星。「負けることがこんなに怖いこと、悲しいことだと僕も忘れてましたし、チームも忘れてました」。7月中は1球1球メモをしながら同戦の映像をフルイニングで視聴。10回以上は見返した。その悔しさを1年後の東北勢初優勝につなげた。

366日の間に甲子園優勝と準優勝を経験した。「座右の銘の通り、人生は敗者復活戦だと思っているので、素晴らしい経験を得ましたね」。敗戦は新たなスタート。負けたままでは終わらない。【山田愛斗】

▽仙台育英・尾形(試合後は慶応ナインに拍手)「自分でも負けたという感じはなく、勝ち負けのない野球の試合のようだった。相手に『おめでとう』という気持ちで拍手していた」

▽仙台育英・田中(代打出場した慶応・清原と対戦)「清原は小学校からずっと知っている。ネクストにいる時から見えていたので、歓声が上がるのは分かってましたし、自分も行ってやろうという気持ちだった」

▽仙台育英・橋本(夏の甲子園で歴代4位タイの23安打)「(大会)前半戦は1番の役目を果たせたと思うが、今日の決勝でいいところで打てなかったので、さすがに申し訳ないなと。最後に打ちたかったという思いは強い」