苦労人に指揮官から最大級の賛辞が送られた。

3回からマウンドに上がったのは、左横手投げの大山隆真投手(3年)だった。今大会が初のベンチ入り。開幕前の登録変更でベンチ入りをつかんだ。インステップ気味のフォームから角度のある球を投げ込み、2イニングを完全投球で封じた。

試合後、須江航監督(41)は「この子が全選手の中でイニングをしっかり食ってくれる。制球力が高く、打たせて取れるピッチャーを1人絶対に選びたいんだっていう風に言い続けてきて。文句無しですね。彼が文句なし」とトーンが上がった。

秋田・能代出身の大山は能代四小を卒業すると、「レベルの高い野球をしたい」と、仙台育英の中高一貫校である秀光中に入学した。オーバースローの投手だったが、中学3年の9月に「投げた瞬間に(肘から)音が鳴っちゃって」。疲労骨折だった。手術を余儀なくされた。

仙台育英に入学し、1年の6月に投球を再開も、手術の影響で球速が伸び悩んだ。高校1年も終わりが見えた冬、見かねた猿橋善宏部長にサイドスロー転向を提案された。

だが、決断はしなかった。「その時はまだオーバースローにプライドっていうか、変えたくないっていう気持ちがあった」。状況は打開できないまま、時だけが過ぎていった。

2年秋、今度は須江監督が手を差し伸べた。相談を重ねた上で「本当にどん底の立場だったので、変えるしかない」と、横から腕を振ることにした。

監督はずっと見ていた。「最初は箸にも棒にも引っかからなかったですけど。4月くらいからとても安定してきて。5月、6月の練習試合や紅白戦で、数字は忘れちゃいましたけど、四死球が1個か2個ぐらいしかなかったんですよ。20人ぐらい投げて。それでもう(ベンチ入りが)決まりです。ブンブン振るような、うちのすごく振れる選手を9人DHみたいに並べた紅白戦でも抑えましたし。強豪校との練習でも短いイニングにしたらしっかり抑えてくれた」。納得の選出だった。

汗でぬれたユニホームを身にまとった、背番号17のサイド左腕は言った。

「ずっと須江先生には『取り組みの先に結果が絶対ついてくる』と言われ続けてきて。自分は本当にずっとメンバーにも関わってこれないような立場だったので。けど、諦めずにここまで積み重ねて来られた。今日は本当に特別なマウンドになりました。サイドに変えて良かったです。須江先生に感謝です。中学校からほとんど辛いことばっかりだったんですけど、最後の最後に(ベンチに)入れたことが家族に対しての恩返しでもある。本当によかったです」。

須江監督もまた、口角を上げて言った。

「ちょっと大げさな言い方をしますと、彼がうちを象徴する選手ですね。うちは夏に必ず初めてベンチに入って活躍する子がいるので。『This is仙台育英』みたいな選手であると思って。彼がきっと苦しいところで投げてくれると思います」。

公式戦初マウンドの直前に指揮官から授かった言葉は、「控えの選手の代表として投げて欲しい」だった。控えの時期が長かったからこそ、1球1球心を込めた。「控えの選手にいつも支えられているということを、感謝の気持ちを持って投げることができました」。

やっと来た初めての夏を、大山が駆け抜ける。【黒須亮】