京都国際の小牧憲継監督(41)就任初年度の2008年(平20)に主将を務めた、李勇樹(イ・ヨンス)さん(34)が、甲子園に訪れ、歓喜の瞬間を見守った。満員のアルプススタンドを見渡し、「おめでとうしかないですし、後輩には、周りへの感謝を忘れずにいてほしいですね」と語った。
恩師とは、7歳差。当時は監督というより「お兄さん」の感覚だった。「自分が甲子園に行きたい、プロに行きたいって思いを聞いてくれた。『3年間でどこまで行きたいん? それやったら、もうちょっとやらなアカンのちゃうか』」と寄り添う姿勢を示してくれた。
李さんは主軸でエースだった3年春、小牧監督が就任直後に京都3位に輝き、同校初の近畿大会に出場した。しかし、「ボコボコにやられました」。大阪桐蔭の前に屈した。当時の練習場は、両翼は約60メートルずつのグラウンド。「砂利半分、小石半分、白土ちょっとの割合。新球をおろしてノックをしても、すぐボロボロになる。(ボールの)消耗は早かったんじゃないのかな」。しかし、当時から環境に対して弱音を吐かず、指揮官が選手を率いる姿が脳裏に焼き付いている。「バットとグラブとボールがあったら、どこでも野球できるやんって思ってそうな方」と笑い飛ばす。
李さんは同校卒業後、関大、社会人野球・西濃運輸で野球人としてのキャリアを重ねる間に、14年には西濃運輸で日本一を飾り、ビッグエッグの輪の中にいた。16年の時を経て、深紅の優勝旗が、母校の後輩の手元に渡った。「こんなん誰が想像したことか」。そして「日本一になるって報われ方が違う。目に見えて、周囲の反応が変わる。(社会人野球で)日本一になった当事者やけど、今は目撃者になって、母校が勝ち上がるごとに、みんなと1つになれて、京都国際がすごいなって言われてうれしいし、あれから16年ぐらいたって、報われたのがあの小牧さんや(部長の)宮村(貴大)さんでうれしい」。
自身も卒業後の優勝経験を重ね、恩師たちに感謝の思いを募らせ日本一を三塁側アルプスから見届けた。【中島麗】

