<全国高校野球選手権:横浜6-5高崎健康福祉大高崎>◇12日◇2回戦

 今年の横浜(神奈川)は勝負強い。49校で最後に登場したが、高崎健康福祉大高崎(群馬)に延長10回サヨナラ勝ち。一時は5点差を追いつかれる展開も、最後は2死一、二塁から2番高橋亮謙遊撃手(2年)が殊勲の左前打。神奈川大会準々決勝から4試合連続で1点差勝利としぶとさを発揮した。

 人生初のサヨナラ打を放った高橋は、ヒーロー役に慣れていなかった。「いや、正直わけが分かってないです。ここに自分がいる意味が分からないです」。試合後のお立ち台で、キョロキョロと周りを見回した。

 チームでの立ち位置は“バントの名手”。「入学以来、守備とバントしかしてません」と言いながら、10回2死一、二塁で狙っていた直球を左前に転がした。9回2死三塁では、二遊間を抜けようかという当たりを横っ跳びでキャッチしピンチを防いだ。10回の守備中に右手中指を負傷したが、打撃は痛みも忘れるフルスイングだった。

 「あこがれの横浜高校で甲子園に行く」。そう決意して昨年、地元大阪を離れた。特待生やスポーツ推薦ではなく、一般受験で合格。0歳のころに両親が離婚。仕事をしながら兄弟3人を育ててくれた母淑子さん(43)は、自分のわがままについてきてくれた。横浜市内で2人で暮らしながら、強豪の門をたたいた。

 だが入ってみると、イメージとは違った。レッドソックス松坂のような絶対的エースはいない。横浜筒香のような大砲もいない。「0点に抑えて大量得点して、楽勝で勝てるチームやと思ってました」。渡辺元智監督(66)が求める“高校野球らしい野球”に応えるため、ノックとバントだらけの泥くさい練習に明け暮れた。「自分は守備の人」という意識とともに、「いつか打ってやりたい」という意欲が芽生えた。

 大阪入りする直前の7月31日には、野球部OBでタレントの上地雄輔(32)がグラウンドに激励に訪れた。高橋がいつも「打撃練習に使ってます」というケージは、09年4月に上地が寄贈したもの。先輩のエールに堂々とプレーで応えた。

 兄裕大さん(22)も青森山田で04年、メンバー外ながら東北・ダルビッシュ(現日本ハム)が注目された年に甲子園に出場。かつて応援に来た思い出の地に、プレーヤーとして戻ってきた。「どんな試合展開でも何点取られても、負ける気はしません」。徐々に話し慣れてきた高橋が、胸を張ってみせた。【鎌田良美】

 ◆高橋亮謙(たかはし・りょうけん)1994年(平6)6月21日、大阪・箕面市生まれ。5歳から野球を始め、小6まで投手。中学は二塁手。横浜では1年秋からベンチ入り。家族は祖父母と母、兄、姉。173センチ、64キロ。右投げ右打ち。