<高校野球千葉大会:木更津総合9-0柏日体>◇25日◇決勝◇QVCマリン

 主将がエースに飛び付いた。9回裏2死。木更津総合のエース黄本創星投手(3年)は、最後の打者を空振り三振に仕留めた。両手を天高く突き上げ、ホームから走ってきた主将の国広拓人捕手(3年)を受け止めた。駆け寄ってきた仲間にもみくちゃにされ「その瞬間に勝ったんだと感じた」と、2人は振り返った。

 嫌われてもいい-。国広主将のそんな思いが、4年ぶり3度目の甲子園につながった。昨夏の3回戦、この日と同じ18安打を放ちながら八千代に敗れた。「このときの悔しさを胸に全員野球を目指す」。そう決めた国広は「やらせてください」と主将に立候補した。

 チームをまとめるため「笑顔・全力疾走・考えて行動」を求めた。だが、意図に反し笑顔は練習中の緊張感を欠如させた。ミスしてもへらへら笑う選手もいて、プレーの軽さが目立つようになった。見とがめた国広が「この練習にやる意味あるのか」と言ったことから、けんかに発展したこともあった。

 全体練習が終わると早々に帰る選手に「足りないんじゃないか」と言えば「やりたいやつはやればいい」といやな顔をされたこともある。それでも厳しいことを言ってきた。国広の思いは次第にチームメートの心に届いた。優勝を決めた直後、黄本は「言われた時はムッときたけど、今思えば自分のために言ってくれたと思う。ありがたいです」と感謝の念を口にした。

 全員で勝つ。打ってつないで勝つ。この日は理想の野球ができた。国広は「自分たちがやってきたことを笑顔でやりきりました。最後まで黄本ががんばってくれて、打線もつながった。目の前の相手に一戦必勝でした」と、満足感に満ちた笑顔だった。甲子園でも強力打線で房総旋風を巻き起こす。【成田光季】

 ◆木更津総合

 1963年(昭38)創立の私立校。生徒数は1781人(女子990人)。野球部は63年創部。甲子園初出場は、木更津中央時代の71年春、ベスト4に勝ち上がった。夏は、木更津総合と改称した03年に初出場。部員は52人。主なOBに与田剛(元プロ野球選手)古屋英夫(元プロ野球選手)峰幸代(ソフトボール北京五輪代表)。所在地は木更津市東太田3の4の1。真板益夫校長。◆Vへの足跡◆

 

 

 2回戦4-3成田3回戦1-0船橋芝山4回戦9-0佐倉南5回戦10-3流通経大柏準々決勝7-6西武台千葉準決勝7-3松戸国際決勝9-0柏日体