<高校野球東東京大会:二松学舎大付5-4帝京>◇29日◇決勝◇神宮

 二松学舎大付(東東京)が、決勝11度目の挑戦で、悲願の夏の甲子園初出場を決めた。3点を追う7回に今村大輝捕手(1年)の3ランで追い付くと、6回途中から登板した大江竜聖投手(1年)が1失点で投げ切り、延長10回で帝京を振り切った。71年に初めて決勝に進出して以来、昨夏まで42年間で10連敗中だった呪縛から脱した。

 サインは「待て」だった。3点を追う7回1死一、二塁。打席には背番号「12」の1年生、7番今村が立った。1ボールからの2球目。「(帝京)清水君のボールがブレ始めていたので、何とかつなげたいと思ったんです。それが、バッ、と振って…」(市原勝人監督=49)。

 打席の今村は、サインを見落としていた。真ん中に入ってくる、スライダーだった。「がむしゃらに粘って、何とか打つことができました。上級生が笑顔で迎えてくれて、打ったんだと思いました」。サインの見落としは、ベンチに戻ってから気付いた。5月末に正捕手となった1年生。本能で打った3ランが、決勝10連敗の呪縛を解くカギになった。

 市原監督は試合前の一塁側ロッカー室で、選手に初めて呼び掛けた。

 「オレを、甲子園に連れていってくれ」

 同校OBで、82年センバツではエースとして準優勝。決勝6度目の挑戦で「いつもは何とか、(選手を)連れていってやろうという気持ちでした」と言う。

 選手を信じて戦うと、「待て」を出した1年生に1発が飛び出した。「選手たちが野球をやったということ。私の手の中から、飛び立った感じです」。

 2番手で登板した1年生大江が1失点で粘り、延長10回は竹原祐太主将(3年)が決勝の適時三塁打を放った。今村は、10連敗となった昨年の決勝を、神宮で観戦していた。「何とか自分が入って、甲子園に行きたいと思った」と言う。

 センバツには4度出場したが、71年夏の決勝で2-12と日大一に敗れて以来、43年がたった。02年から決勝で3連敗すると、市原監督は、つき物があるのではと台湾人に厄払いをしてもらったことがある。それでも成果は出ず「練習する方が先だと思いました」と神頼みも断念。愚直に練習を続け、選手を信じた先に、願い続けた「暑い甲子園」が待っていた。【前田祐輔】

 ◆二松学舎大付

 1948年(昭23)創立の私立校。生徒数は738人(女子392人)。野球部は58年創部で部員は65人。主なOBは元ロッテ初芝清(現社会人野球セガサミー監督)DeNA小杉陽太ら。甲子園出場は春4度。所在地は千代田区九段南2の1の32。松葉幸男校長。◆Vへの足跡◆3回戦5-3城西4回戦3-2東海大高輪台5回戦8-0城東準々決勝10-4東亜学園準決勝9-2成立学園決勝5-4帝京