<アナタと選んだ史上最高物語(9)打者編>

 ◆史上最高の打者ベスト10

 <1>清原和博(PL学園)<2>松井秀喜(星稜)<3>水口栄二(松山商)<4>福留孝介(PL学園)<5>林裕也(駒大苫小牧)王貞治(早実)<7>山野純平(智弁和歌山)中西太(高松一)坂崎一彦(浪華商)大石大二郎(静岡商)【比肩する者なし

 清原和博】

 予想通りにまずは清原和博(PL学園)、次いで松井秀喜(星稜)。甲子園史上最高の打者は、この2人以外には考えられないし、その中で清原が大差で上位ということも実績からいうと当たり前かもしれない。とにかく1年夏から5季連続出場、甲子園で打ったホームランがナント13本なのだから、文句なしの選出であろう。

 「他に比肩し得る打者が思いつきません。彼は別格だと思います」「清原の完成度は松井や中田より一段上のレベルにあった。プロ野球に入ってからは、その完成度が逆にアダとなったようですが、甲子園の4番打者を選ぶのであれば、清原以外に考えられません」「バットに当たればホームランという感じだった」…。甲子園に描いた13本の大アーチの残像は、ファンのイメージの中ではいまだに古びてはいない。甲子園を、そして日本中をうならせた強打者として、清原和博はいつまでも語り継がれる。ケガに苦しみ抜いている今も「清原待望」の声が根強いのは、甲子園の13本塁打があってのことであろう。

 3位に水口栄二(松山商)が入る。1986年夏、最多安打記録となる19安打と打ちまくった。「バットを振ればヒットになるその様は、打ち出の小づちのようであった」「甲子園の申し子」という賛辞も。甲子園のファンはホームランだけではなく、ヒットにも大きな価値観を見出している。この時、水口が記録した27塁打は、その前年清原がマークした塁打数と同じだ。

 王貞治(早実)、中西太(高松一)、坂崎一彦(浪華商)というあたりは、もはや伝説の強打者だろうか。団塊世代の私は王、坂崎の高校時代は覚えているものの、中西の高校時代は残念ながら記憶にない。ドカベンの愛称で親しまれた香川伸行(浪商)も忘れられない1人。

 そんな中にポツリと大石大二郎(静岡商)の名が交ざっていた。高校1年の74年夏、75年春と甲子園に。それなりの活躍はしたようだが、実は全然覚えていない。静岡商では大石と同学年だった久保寺雄二の強肩強打だけが、なぜか目に焼き付いている。「久保寺の方が僕なんかより全ての面ではるかに上でしたよ」と、大石も語っていた。久保寺は高校を出てドラフト2位で南海ホークスへ。向こう意気の強い男であった。

 足が速くて、肩が強くて、小柄でも長打力もあった。大石が亜大の4年だった80年には、久保寺はパ・リーグ最多二塁打の29二塁打を放っている。お先に1歩も2歩も進んでいた野球人生だったが、85年1月4日、急性心不全で急死。「久保寺が死んだ」と電話口で聞いた時には、言葉を失った。今、高校で同期だった大石はオリックスで監督を務める。

 そういえば、史上最高の打者・清原は今もオリックスの顔。水口は同じチームで打撃コーチを務める。甲子園を沸かした強打者たちの人生は、まるで壮大な物語のように現在進行形で紡ぎ出され続けている。(つづく=敬称略)【編集委員=井関

 真】

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