メジャー6年目にして7球団目となるメッツに移籍した青木宣親外野手(35)は、この激動のシーズンをどう受け止めているのか。話を聞くと、そのポジティブ思考に頭が下がった。

 自身でも「話のネタは尽きないよね。相当いろんなことがあるから。月ごとに1個ずつはあるんじゃない」というほど、さまざまなことが起こったシーズン。3月にWBCに出場し日米通算2000安打を達成するなど明るい話題もあった半面、1シーズンで2度の移籍という、長い野球人生でもなかなか経験できない境遇を味わった。

 シーズンはアストロズで幕を開けたが、そこでは出番が極端に限られていた。トレードでブルージェイズに移籍する直前の7月30日まで、チーム104試合のうち出場したのは71試合、打席数は224と、マリナーズに所属し一時3Aに降格していたため118試合の出場にとどまった昨季の打席数と比べても半分以下だ。今季のアストロズは圧倒的強さでア・リーグ西地区の首位を独走しているが、青木自身は「やっぱり難しい、3試合に1回とかだったから。しかも下位だったから打席数がこないし、3打席で終わりってこと結構あったから。1個フォアボール取っても、2タコとかあって。その次に試合が2日間とか3日間空いたりとか。3本打っても次の日、また次の日も休みとか」と、起用法に適応するのに苦労した。

 7月31日に交換トレードでブルージェイズに移籍してからも、その状況はほとんど変わらず。そうこうするうちに、8月28日にブルージェイズの40人枠から外れ、翌29日に自由契約。メッツと契約したのはそれから4日後のことだった。

 普通なら心が折れそうになるであろう、苦難のシーズン。青木は「誰かが見てると思って、いつもやっているから」乗り越えられたと明かした。「それがたぶん、気を抜かないで真剣に野球に取り組んできたことにつながったと思うし。それでもし、話がなかったとしても、仕方ないと思う。数字は何とか残ってたから、まあどっか拾ってくれるんじゃないかと思ってたけど。誰かが見てると思っていつもやっていたから」。

 誰かが見ている。

 なるほど、野球だけではなく、それはあらゆる分野で有効な考え方だと思う。見ている人がいれば、努力はいつか報われる。青木自身も「一生懸命やって。そしたらこうやって、メッツが見ていてくれた」と、球団との契約に至った。前向きな姿勢は明るい未来につながると、身をもって示してくれた。

【水次祥子】(ニッカンスポーツ・コム/MLBコラム「書かなかった取材ノート」)