この時期になるといつも記憶がよみがえる。あの米中枢同時テロから今年で20年になる。

9月11日の追悼記念日は、ニューヨークでメッツとヤンキースが対戦する「サブウエイシリーズ」の一戦が組まれており、試合が行われるメッツの本拠地シティフィールドで盛大なセレモニーが行われる予定だ。そのセレモニーには、当時のメッツのスターでテロ被災地復興のシンボルとなったマイク・ピアザ元捕手(52)が出席することになっている。

またこの20周年に合わせ、米テレビ制作会社ターナースポーツがMLBのドキュメンタリーを制作しているそうだ。911の惨事から米社会が立ち直る過程で、野球がいかに影響を与えたかを伝えるドキュメンタリーだという。エグゼクティブプロデューサーには、当時ヤンキース監督だったジョー・トーリ氏(81)とメッツ監督だったボビー・バレンタイン氏(71)も名を連ねている。

2001年、筆者はニューヨークに住んでいた。9月11日の当日は、ちょうどメジャー1年目だったマリナーズのイチロー外野手を取材するためカリフォルニア州アナハイムにいた。ニューヨークの世界貿易センター、通称ツインタワーに旅客機が最初に激突したのが米東部時間午前8時46分だったので西海岸はまだ午前5時46分だった。数時間後に目覚めてテレビをつけると衝突のシーンが何度も繰り返して流され、ぼうぜんとしたのを昨日のことのように思い出す。

数日間、MLBなどあらゆるイベントが止まり、全米の飛行機も止まった。ようやく飛行機が飛びニューヨークに戻る時、ツインタワーを見下ろせる上空を通過したのだが、崩壊したビルのがれきからまだ大量の煙が立ち上っていた。あまりにも生々しく、とても現実とは思えない光景だった。当時、ニューヨークに住んでいた人々の多くが、いくつものそんな衝撃的な光景を目の当たりにしていたと思う。

事件後、最初に行った球場はメッツの当時の本拠地シェイスタジアムだった。試合が止まっている間も選手たちは球場でトレーニングをしており、それを取材に行った。球場の駐車場は事件で被災した人やその家族への支援物資集積所にもなっており、バレンタイン監督が中心となって選手や球団スタッフ、我々報道陣もボランティアで物資の仕分けを手伝った。

ニューヨークで最初の試合が行われたのは事件から10日後の9月21日、シェイスタジアムでのメッツ-ブレーブス戦。その試合で、1点を追う8回に劇的な2ラン本塁打を放ったのがピアザだった。筆者はこの時、球場の記者席にいたが、4万人を超えるファンが詰めかけた球場全体が、リアルに揺れるほど盛り上がった。誰もが沈んだ気持ちだったあの時、その場にいた人々のテンションを一気に上げ、心を1つにして感動した大きな一打。野球というスポーツの力を実感する試合だった。ちなみに新庄剛志氏(49)もこの試合に5番左翼で出場し、犠飛で1打点を挙げ3-2の勝利に貢献している。

あれから20年。MLBを見ると、当時のことをほとんど知らないであろう若い選手やファンが増えた。あの時に実感できた野球の力を再確認するためにも、この20周年には大きな意味があるのだと思う。【水次祥子】(ニッカンスポーツ・コム/MLBコラム「書かなかった取材ノート」)