エンゼルス大谷翔平投手(27)が新たな歴史を刻もうとしています。今季はすでに、投げては100奪三振、打っては100安打を達成。さらに100投球回にもあと14イニングで到達します。20世紀以降ではおそらく初となる、「トリプル100」をクリアする投打二刀流が誕生します。

そこで、調べてみました。大リーグ史上、同一シーズンに投手で100投球回&100奪三振、打者で100安打を記録した先人が実在したのでしょうか?

まず、元祖二刀流のベーブ・ルースは、二刀流全盛だったレッドソックス時代の1918、1919年に達成していません。18年は166回3分の1を投げて40奪三振、安打も95本。翌19年は139安打を放ちましたが、133回3分の1で30三振しか奪っていません。大谷とは異なり、奪三振は少ないピッチャーでした。

では、今年から大リーグ記録として認定されることになったニグロリーグではどうでしょうか。1920年に始まった黒人だけのプロ野球リーグにも、何人かの二刀流選手が存在しました。中でも伝説のスター、殿堂入りしたブレット・ローガンは1922年のモナークス時代に193回3分の2で118三振を奪いましたが、バットでは惜しくも89安打で届きませんでした。

つまり20世紀以降、いわゆる近代メジャーと呼ばれるようになってからは、大リーグ、そしてニグロリーグで年間100投球回、100奪三振、100安打以上を記録した「トリプル100」は存在しないと言えるでしょう。

ところが、19世紀の1リーグ時代までさかのぼると存在しました。

◆ジョン・ウォード(プロビデンス・グレイズ) 1879年に587回も投げて239奪三振、104安打。後に殿堂入り。

◆ジム・ウィットニー(ボストン・ビーンイーターズ) 1883年に514投球回で345奪三振、115安打。

◆チャールズ・ラドボーン(プロビデンス・グレイズ) 1883年に632回3分の1で315奪三振、108安打。

◆ガイ・ヘッカー(ルイビル・コーネルズ) 1886年に420回3分の2で133奪三振、117安打。

◆ボブ・カルザーズ(セントルイス・ブラウンズ) 1886年に387回3分の1で166奪三振、106安打。

◆アドニス・テリー(ブルックリン・グレイズ) 2度達成。1887年に318投球回で138奪三振、103安打。1890年にも370投球回で185奪三振、101安打。

驚くべきことに、少なくても6人が「トリプル100」を達成していたことが判明しました。

ただ、19世紀当時はバッテリー間の距離が45フィート(約13・7メートル)から50フィート(約15・2メートル)と短く(1893年から現在の18・44メートルに)、ボールカウントでは9ボールが徐々に減ってフォアボールで一塁へ歩けるようになりました。さらに下手投げが横手投げ、そして上手投げがようやく解禁されるなど、現ルールに定まるまでの過渡期でした。現在とはまるで違う野球の時代ですから、比較対象として論じるのは難しいです。

当時の日本といえば、今年の大河ドラマの主人公・渋沢栄一が当代随一の財界人として輝いていた時代。そんな野球が始まった頃までタイムスリップしないと、「トリプル100」の先人たちにたどり着けないとは、大谷の偉大さが分かるというものです。(大リーグ研究家)(ニッカンスポーツ・コム/MLBコラム「福島良一の大リーグIt's showtime!」)