ドジャースの元監督で殿堂入りしたトミー・ラソーダさんが、7日(日本時間8日)に心臓発作のため93歳で死去した。球団が8日(同9日)、発表した。心臓の病気で昨年11月からロサンゼルス近郊の病院に入院し、年明けに退院したばかりだった。野茂英雄氏(52)がメジャーデビューした当時に監督として後ろ盾となり、球団だけでなく球界に大きな影響を与えたレジェンドだった。

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日本人メジャーリーガーのパイオニアになった野茂さんにとって「ドジャースの父」は2人いた。1人はオーナーだったピーター・オマリーさん、そしてもう1人がラソーダさんだ。

野球協約の隙間を突いた米大リーグ移籍は、日本を出ていく「国賊」のように批判にさらされた。母国での名誉を捨てて海を渡った男をラソーダさんは「マイ・サン(ぼくの息子)」といってかわいがった。

球場入りすると、ラソーダさんは監督室に招き入れて食事を共にした。それはスキンシップを図るとともに、マスコミ嫌いで、ボキャブラリーに乏しい野茂さんを激しい取材攻勢から守る意図もあった。

洋の東西を問わず、監督と選手が信頼関係で結ばれたところに「勝利の女神」は舞い降りる。名選手でなかったラソーダさんが21シーズンも指揮を執ったのは選手の心をつかむ名監督だったからだろう。

ドジャース監督の勇退は96年7月29日(日本時間同30日)、ロサンゼルス・タイムズ紙に抜かれたスクープだった。遠征先からロサンゼルスに帰る機内でじだんだを踏んだのが昨日のことのようだ。

会見の席上、ラソーダさんが大粒の涙をこぼしたのを覚えている。野茂さんとの出会いは野球人生の一コマだろう。でも「日本はぼくにヒデオ・ノモをくれた。素晴らしい国だ」といった言葉が絆の強さを表した。

野茂さんのことはイタリアなまりで「ヒッデーオ」と「ヒッ」に強いアクセントを置いて呼んだ。野茂さんは「イエス」と答える。そんな短いやりとりだけでお互いの心は十分に通じ合ったし、野球に国境がないことを教えてくれた。【寺尾博和】