23年3月に開催される第5回WBCへの出場を表明している米大リーグのエンゼルス大谷翔平投手(28)の恩師で前エンゼルス監督のジョー・マドン氏(68)に迫った。

「大谷翔平はなぜ世界中から愛されていて、世界中にどんな影響力を与えているのか」。テレビ東京が約2カ月に及ぶ交渉の末、二刀流覚醒に導いたマドン氏の独占インタビューに成功した。

今年6月にエンゼルス監督を電撃解任されて以降、表舞台から遠ざかっていた名将が重い口を開けた。二刀流の幕開け直前だった21年の開幕前にマドン監督とミナシアンGM、大谷とで二刀流起用について交わされた会話の内容や、二刀流を貫く理由、さらに監督解任直後の大谷とのやりとりまで赤裸々に語った。BSテレ東で23年1月1日午後8時55分~同10時55分の「大谷翔平 答えを探して」(ナレーションは八嶋智人)で放送される。

■マドン氏が大谷の二刀流を後押しした理由にはかつてエンゼルスのマイナーコーチ時代に出会った選手を巡る出来事が深く関係していたことが明らかになった。

-マドン氏でなければ大谷はここまで成功できなかったのでは

「彼はただ私のような人間に自由にさせてもらう必要があっただけだよ。それを必要としていただけ。私じゃなければということに関してはとてもじゃないけどそんなことは言えないよ。全部彼自身が成し遂げてきたことなんだよ。私のことを言うと、1980年代から1990年頭にかけて私はエンゼルスのマイナーリーグを指揮していた時期があった。その時、デショーン・ウォーレンという選手がいて、当時の私は彼が二刀流として活躍できると思っていたんだ。キャンプでは誰よりも速く走れて、95マイル(約153キロ)の球を投げれる左投手でもあった。私は彼を登板させて次の日は休ませるけど、そこからはセンターを守らせるか、DHで出場させられないかって考えたんだよね。もし、投手としてダメでもチームに貢献できる才能を彼は持っていた。でもチームから許可が下りなかったんだ。2つ素晴らしい才能を持つ選手がいたら、それをどうにかして生かしてあげることが大事だと思う。周囲の人はいつも選手が故障することを心配しているんだ。でも、どれだけ選手を守っていたとしても、けがをする時はけがをするもんなんだよ。選手に自由を与えることによって、選手からは信頼を得ることができ、選手は自分で規律を生むことができると思うんだ。翔平は私が彼を自由にさせていたことに満足していたと思うし、私のことを信頼していてくれていたと思う」

-17年オフのカブス監督時代に大谷と初めて会ったときの最初の印象は

「とてもいいやつだったよ。彼の代理人のオフィスだったけど、翔平は私の真向かいに座っていたんだ。まだ会話ができるほど英語が堪能じゃなかったから通訳を通してだけど、私が感じたのはすごくちゃんと人の話を聞くということ。通訳を通して、一平(水原氏)がその時いたかは覚えてないけど、彼は全てを理解していたよ。自分の中でしっかりと消化して、考えて。彼はすごく落ち着いているよね、とにかくすごく好印象な若者で、とても静かだけど全てが見えていて、理解していると感じてとても感銘を受けたよ」

-3年後にエンゼルスで再会したときの印象は

「繰り返しになるけど、第一印象から変わってなかったよ。とても尊敬できる若者だったよ。落ち着いて物事をしっかりと理解していたし、とても自信に満ちていた。自分に何ができて、どこに向かっていて、何をすべきかを理解していたよ。たまに正しい方向を思い出させてあげるぐらいで、彼に指導する必要はあまりないんだ。彼の野球に対する考えは周りの人の想像を超えてくるし、それが彼が非凡であることと、偉大さを物語っているんだよ」

■二刀流でプレーするという契約でエンゼルスに入団していた。

-21年は二刀流として活躍できることを証明できる最後のチャンスだった

「本当にそうなんだよ。20年に監督に就いた時からそうするつもりではいたんだけどね。なぜなら彼は二刀流としてプレーするという契約でエンゼルスに入ったんだからね。当時から(GMだった)ビリー・エプラーと話していたんだよ。ただ両方こなすだけじゃなく、同じ日に両立させる、つまり二刀流をできないかってね。でも当時は誰もそれに賛同してくれなかったんだ。先発する前日と次の日に打席に立たせるのはどうなのか? みんな否定的だった。でも21年に入る時、私はペリー(ミナシアンGM)にどう思うか聞いたんだ。私は二刀流として契約した当初の目的を果たすためには彼を自由にプレーさせないといけないと思ったんだ。ペリーはその考えに乗ってくれた。そうなってから初めて翔平を呼んでどうしたいか聞いた。そしたら彼は『当然、二刀流としてプレーしたい』と言った。当時、彼は完全に自分で自分をマネジメントしていたんだよ」

■21年はア・リーグ最優秀選手(MVP)に史上19人目の満票で選出された。22年は投手として15勝、打者として34本塁打をマーク。1918年のベーブ・ルース(レッドソックス)以来史上2人目となる同一シーズン「2ケタ勝利&2ケタ本塁打」を達成した。

「私からしたらとにかく彼を自由にさせること、彼は賢いし、別次元で生きているんだからね。そうすることで彼は安心してプレーすることができたし、とてもオープンになった。自信を持ってプレーしていたよ。そこからは見ての通りさ。彼は今シーズンもMVPを受賞するべきだった。私はもちろん(ヤンキースの)ジャッジのことが大好きでファンでもある。ホームランも60本以上打って、打者としては申し分ない1年だった。でも、翔平は投手としても打者としてもそのレベルでプレーしたんだ。彼は2人分の価値があるんだ。とても信じ難いよ」

■大谷は来年3月に開催される第5回WBCで侍ジャパンとしての参加を表明した。

-大谷がWBCプレーすることについては

「素晴らしいことだよね。プレーしたいと望むならプレーすべきだよ。翔平が出場することは野球界にとっていいことなんだ。彼が出るだけでその大会の価値は大きく上がるんだよ。ぜひプレーしてほしいね」

-世界を驚かす

「世界中の目が彼に注がれるよ。そして翔平は何か特別なことをやってのけるだろうね。全ての試合で活躍できるかは分からないけど、何かやってくれるはずだよ。それだけは言えるよ」

■メジャー球界屈指の名将が6月に電撃的にエンゼルスの監督を解任された。

-6月以降どう過ごしてるのか

「とても素晴らしい時間を過ごしているよ。基本的には出身のペンシルベニアにいたよ。7月1日に実家に戻って、そこのゴルフ場の近くの小さな家なんだけどね。130日ほどペンシルベニアにいたけど、その内120日はゴルフをしていたかな。私の生活はかなり変貌を遂げて、まずは朝ゴルフをして、午後は庭の手入れをして、夜は夕飯を作っているよ。そこの夕焼けは素晴らしいんだよ。おいしい赤ワインと、ステーキを焼いて、ピザも焼けるようになったよ。人生の幅がすごく広がったね。そんな感じかな。あとは著書を執筆するといった素晴らしい時間を過ごしているね。是非買ってみてね。毎週火曜日にポットキャストをやっていたりもするし、そこそこ忙しくしているよ。多忙なわけではないけどね。1979年以来かな。自分の時間をこんなに持てるのは」

-楽しい時間を過ごしている

「とてもね。野球は大好きだよ。子供のころからの生きがいだったしね。でも違うことにも興味はある。エンゼルスは私を手放したけど、それについてはとても早く乗り越えることができた。自分でも驚くほどにね。そして今やりたいこともたくさんあるしね。いつかまた野球に携わることもあるかもしれないけど、今はいろんな人から助言もされたんだけど、1年ぐらいはしっかりと休養して頭をクリアにしようと思っている。次、何をするかをしっかりと考える時間をね。だからとにかく今は体調を整えて、ゴルフとかをしながら楽しんでいるよ」

◆ジョー・マドン 1954年2月8日、米国ペンシルベニア州生まれ。ヘイズルトン高校からラフィエット大をへて76年捕手としてエンゼルス入り。79年引退。メジャー経験はなし。エ軍でスカウト、マイナー監督、コーチなどを務める。96年は22試合、99年は29試合で監督代行。06年にデビルレイズ(現レイズ)で監督就任。08年に球団初のリーグ優勝。15年カブス監督に就任し、16年に球団108年ぶりのワールドシリーズ優勝。20年からエ軍監督を務めるが、22年6月に解任された。通算2599試合で1382勝1216敗1分け。リーグ最優秀監督賞3度。