<ワールドシリーズ:ヤンキース7-3フィリーズ>◇第6戦◇4日(日本時間5日)◇ヤンキースタジアム

 【ニューヨーク=大塚仁、四竈衛、水次祥子】メジャー7年目のヤンキース松井秀喜外野手(35)が、最高の形で悲願の世界一を勝ち取った。3勝2敗で迎えた前年覇者フィリーズとの第6戦で、先制2ランを含む4打数3安打と大爆発。シリーズタイ記録の6打点を挙げて打線を引っ張り、日本人として初のシリーズMVP(最高殊勲選手)を獲得した。今季で4年契約が切れるが、ヤ軍で連覇を目指すかの問いに「そうなればいい」と語った。ヤ軍は新球場1年目を、2000年以来9年ぶり通算27回目の世界一で締めくくった。

 頂点の、さらに一番上に松井が立った。7年越しの悲願だったワールドシリーズ制覇。その瞬間を日本人初のシリーズMVPとしてステージの上で迎えた。高々とMVPトロフィーを掲げると「最高ですね。信じられない。感無量です。今はもう最高という、それだけです」と上ずった声で「最高」を繰り返した。優勝が決まった直後には、入団以来の盟友ジーターとがっちり抱き合った。すべてはこの日のためだった。

 最後の大舞台で最高の仕事をした。0-0の2回無死一塁。マルティネスの89マイル(約143キロ)速球をとらえ、右翼2階席まで届く先制2ランを放った。1点を返された直後の3回2死満塁では、再び高めの90マイル(約145キロ)速球を中前にはじき返し2者を迎え入れた。かつての天敵を4回4失点KOに追い込むと、5回にも右翼越えに2点適時打を放った。シリーズ最多タイの1試合6打点。「びっくりですよね。予想もしてなかったですからね。ちょっとびっくりです」。夢のような結末に興奮は収まらなかった。

 すべてが報われた。02年11月1日に「命がけでやる」とFAでの大リーグ移籍を表明した。そうして飛び込んだ米国での7年間は、その言葉通りに身を削る日々だった。4年目の06年5月、左手首骨折で日本時代からの連続試合出場が1768試合でストップ。手術した左手首の中には今でも患部を固定するプレートが残る。完治した今は取り除くこともできるが、そのためには再手術が必要なためそのままプレーを続けてきた。07年の右ひざ、08年の左ひざと続いた手術は「鉄人」が「鉄人」でなくなったことを自覚せざるを得なかった。

 肉体や技術だけでなく、内面でも苦しんだ。ヤ軍入りを決めた際、「ジャイアンツファン、日本の野球ファンを裏切ることになるかもしれない」と不安を口にした。自らが去った日本球界への思いは今でも色あせない。今季も「最近のプロ野球はどうなの?」とあいさつ代わりに口にした。古巣巨人で坂本ら生え抜きの若手が活躍していることを聞けば「すごいね。良かった」と心から喜んだ。愛する場所に背を向けてまで飛び込んだ以上、勝たなければという思いは強かった。

 3年契約が終了した05年オフ、「ヤンキースで何も成し遂げていない」と新たに4年契約を結んだ。その最終年に欠かせない男となり、悲願を現実のものにした。「ワールドチャンピオンになるためにヤンキースでプレーをしたかった。僕が来る前はヤンキースはずっと勝っていたけど、僕が来てから勝てなかったので非常に悔しい気持ちが重なっていた。自分が打ったことよりもワールドチャンピオンになれたことの方が自分の中では大きな思い出になる」。なかなか優勝できない日々に「こんなに勝てないとは思わなかった」ともらしたこともあった。その思いがついに実った。

 7回の今季最終打席では新球場最多となる5万315人の観衆に「MVPコール」とスタンディングオベーションで迎えられた。9年ぶりの優勝を決定づけたヒーローをニューヨークが祝福した。壇上でのMVPインタビューでは「来年もヤンキースで優勝したいか」と問われ「もちろんそうなればいいと思う。チームメートが好きだし、ヤンキースが好きだし、ニューヨークが好き。ファンも好きですから」と大観衆に向かって残留への思いを口にした。本拠地デビュー戦での満塁弾から始まったメジャー人生には、ニューヨークにふさわしい世界一の劇的なドラマが待っていた。