昨年限りでソフトバンクを退団した松中信彦内野手(42)が1日、福岡市内のトレーニングジム「トータル・ワークアウト福岡店」で記者会見し、現役引退を正式に表明した。内容は以下の通り。

 私、松中信彦は2016年3月1日、19年間の現役を引退するということを決断いたしました。本当に19年間たくさんの方々に支えられ、応援してくださって、本当に感謝しています。本当にありがとうございました。

 -今の心境は

 松中 10月にホークスを退団して、わずかな可能性にかけて現役を続行してきましたが、4カ月間、精いっぱい、自分の中の最高のパフォーマンス、準備をしてきたつもりです。ただ現実は厳しく、オファーも(入団)テストの機会を得ることもできませんでした。ただ、自分の中でダラダラはしたくなかったですし、退団した時に2月いっぱいまでと決めていましたので、昨日、引退ということを決めました。2月19日に生目(の杜)でホークスの2軍、3軍と(古巣の)かずさマジックが試合をして、そこに行って(練習で)今の自分を他(球団)の編成やスコアラーの方々に見ていただきたかったが、オファーはなかった。その頃から妻と話しながら覚悟は決めていました。

 -NPBにこだわったわけは

 松中 退団した時にNPB以外、海外、独立リーグ、育成でもいいという気持ちもあったが、ボロボロになりたいという気持ちがあった。常に正直に自問自答したが、ここ2、3年、2軍生活が長く、若い子と一緒にやってきて、早く1軍でプレーしたい思いと、40歳を過ぎてから2軍にいて若い子たちの芽をつぶしちゃいけない、邪魔しちゃいけないという葛藤があった。そういう意味ではNPBでもう1回最後の挑戦をしたいという思いで、悔いのないように、2度とない1日1日を無駄にしないようにと思ってやってきた。

 -去年の10月、チームの功労者として花道も用意されていたと思うが、その中で引退という道を選ばず、あえてチャレンジしたことに後悔はないのか

 松中 後悔はまったくないです。自分で選んだ道ですし、好きな野球をもっとやりたいという気持ちがあった。この決断は胸を張って後悔はないといえる。これがボロボロになるまで野球をやりたいと言っていたことかもしれないし、これが自分が望んでいたパズルの最後のワンピース、これが僕の野球人生だったのかなと思う。

 -揺れる気持ちはなかったのか

 松中 期日は自分の中で決めていたし、野球をやりたいという気持ちもあったが、現実を受け止めなければいけないという自分もいた。人間なのでいろんな葛藤はあったが、悔いのないようにというのはブレなかったので、後悔なくこの日を迎えられたと思う。

 -王球団会長には

 松中 昨日電話させていただきました。ごくろうさんと。会長は東京にいらっしゃったので、また福岡で会おうと言っていただいた。また直接会って言いたいです。会長には感謝の気持ちしかないです。入団して木のバットで苦労して、ここまでできたのは会長の教えだと思うし、チームがこれだけ強くなったのも会長のおかげだと思う。

 -家族には

 松中 ご苦労さん、楽しませてくれたと言っていただきました。19年間野球に集中させていただいたのは本当に妻のおかげですし、感謝しています。支えてくれてありがとうという気持ちです。

 -19年間を振り返って

 松中 僕が入った時のダイエーホークスは弱くて、そこから小久保さん、城島、井口、その前に秋山さん、工藤さんという素晴らしいお手本の方がいたので、皆で切磋琢磨(せっさたくま)して、強いチームをつくって常勝軍団になって、リーグ優勝も日本一も経験させてもらった。本当にありがたい。感謝の気持ちでいっぱいです。

 -心に残っているプレー、試合は

 松中 対戦して楽しかったのは(松坂)大輔ですね。力と力の勝負が常にできましたし、彼とやる時が一番楽しかった。試合では04年からあったプレーオフの悔しさを晴らした11年の(CSでの)満塁ホームランが忘れられません。打った後の地響きのような歓声と、その中で(ダイヤモンドを)1周回る感触は本当に自分の宝物です。

 -あの時は大きな信彦コールが沸き上がっていた

 松中 本当にありがたかったですね。最初、レギュラーを取った時は松中と言われていたのが、そのうち信彦に代わって、最後までずっと信彦と言っていただいた。これだけは本当に僕の宝物というか…、ファンの皆さんには感謝の気持ちでいっぱいです。

 -05年には松坂から1試合に3本塁打を放った

 松中 あの時は(松坂)大輔と(斉藤)和巳のエース対決で投手戦になると思っていた。会長もすごく気合が入っていて、僕にも「真っすぐを打てよ、打てよ」とずっと言っていた。1打席目、初球ホームランを打って、2打席目はビハインドで同点ホームラン。2打席連続で直球でホームランを打っていたので、3打席目は間違いなく変化球が来ると思っていた。そうしたら1球目、インコースに直球がきて、それを(打たず)ものすごく怒られた。うまく3本打てたが、やっぱり基本は直球なんだなということを教えていただいた。

 -ファンに伝えたいことは

 松中 ここまできたのはファンの皆さんの声援だと思いますし、それに応えたいという自分がいた。だからこそここまでやってきた。19年間、いい時も悪い時も温かい目で見守って頂いて感謝しています。

 -どういう19年間だった

 松中 こんないろんな経験をさせてもらって幸せものだと思う。大好きな野球を始めてここまでできた。本当に何回も言いますが、感謝の気持ちしかないです。

 -これからの人生はどう歩んでいきたいのか

 松中 まだ何も決まっていないが、小さい時から野球しかしてこなかったので、野球に携わる仕事しかできないと思います。野球で出会わなかった方々とも接して勉強していきたいし、将来は野球に携わっていきたいと思っています。

 -指導者としてまたホークスのユニホームを着たい思いはあるのか

 松中 育ててもらった球団なので、チャンスがあれば着たいなと思う。まずはしっかり勉強したい。それからだと思う。

 -指導者としてどんな選手を育てたいか

 松中 僕の今の夢は王会長が僕を育てて3冠王を取らせていただいたので、同じように、ハードルは高いが、僕も3冠王を取れるくらいの選手を育てたいなと思う。そのためにこれからいろんな引き出しを持たないといけないと思っているし、しっかり勉強していきたいなと思う。

 -地元熊本のファンへ

 松中 野球を始めたのは熊本だが、最近1軍の試合で藤崎台球場でプレーできなかったのは熊本のファンの方々には申し訳ない気持ち。僕が引退して、熊本出身の選手は最近少ない。最近、熊本の子供たちがなかなかプロに行けていないので、これから少しでも力になればと思っている。彼らにもプロ野球選手になるんだという目標を高く持ってやってもらいたいなと思う。

 -支えてくれたすべての人たちにメッセージを

 松中 支えていただいたファンの皆さま、関係者の皆さま、家族、両親に感謝ですね。