プレーバック日刊スポーツ! 過去の9月26日付紙面を振り返ります。1999年の1面(東京版)は王監督率いるダイエーの初優勝でした。

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<ダイエー5-4日本ハム>◇1999年9月25日◇福岡ドーム

 1999年(平11)9月25日午後8時43分、ダイエー王貞治監督(59)が涙をこらえ4度、宙に舞った。西武がデーゲームで敗れ、マジック1で臨んだ本拠地福岡ドームでの日本ハム戦。3-4の7回主砲小久保の24号で追いつき、8回井口が勝ち越し14号。無敗男・篠原からペドラザへの必勝リレーでVを決めた。ダイエーとしては11年目で初、前身の南海からは73年(昭48)以来26年ぶりの優勝だった。栄光の巨人を去り、成長過程にあったチームを優勝戦線に導いた王監督が史上5人目のセ、パ制覇を達成。王ダイエーが至福のときを迎えた。

 グッと込み上げるものは熱かった。感情を抑制しがちな王監督でも、こらえられない。ベンチからマウンドの輪に急ぎながら、もう泣きそうだった。でも、無理な笑顔をつくってごまかした。両手を水平に広げて4回、宙に舞う。巨人時代にもなかった、グラウンドでの優勝胴上げだ。「気持ちが高まって、胴上げしている時は広い宇宙で1人だけなんだと最高の気分だった」。監督就任5年目。ついに悲願を成就した。

 試合前、二女の理恵さん(29)から数珠を贈られた。恭子夫人(55)から託されたものだ。「心臓に近い方が御利益がある」という言葉を素直に聞き、左手首に巻きつけた。

 前日24日、胴上げされる瞬間を想像して「年を取って涙もろくなっているから」と号泣を予告したものだが、これまで募った悔しさをこの日だけで晴らすわけにいかなかった。「選手がよくやってくれた。その一言です」と感極まった声で話した。

 1993年(平5)11月。故根本球団社長(当時球団専務)からダイエー監督を口説かれて以降、5年の歳月を要した。福岡への単身赴任を「都落ち」と言う人もいる中で引き受けたのは、巨人監督解任の悔しさを晴らしたい一心だった。「巨人は大学でいえば東大。エリートばかりで、こちらから教えることは何もない。だけどダイエーは一からたたき込めて自分の野球ができる」。

 道は険しかった。就任1年目。「世界の王」の称号に苦しんだ。偉大なプレーヤーと、あこがれる選手。過度の尊敬は両者の間に距離をつくった。常に「優勝」を叫んだが、結果は1年目から5位、最下位、4位。やりたかった攻撃野球では勝てない。「僕は冷たいんだ。勝つためには好き嫌いで人を使わない。独裁者でいい」とするチームづくりが、選手との間の溝を広げた。

 96年には移動バスにファンから生卵を投げつけられた。帽子のツバの下には「忍耐」と記した。初のAクラス、同率3位を確保した昨年暮れには、スパイ行為疑惑が発覚。

 今年のキャンプ直前、故根本球団社長が、なおも距離を置く選手に説いた。「お前たち、何を構えている。868本塁打したって、見てみろ、特別な人間じゃないんだぞ」。

 59歳を迎えた5月20日の日本ハム戦(東京ドーム)、1点差を篠原、ペドラザらの中継ぎ陣で守り抜いた試合が5年目で確立した「うちの野球」だった。「これから日本シリーズ、来年と前に向かわなければ」。今日こらえた涙は日本一をつかんだとき、と決めている。

◆キャプテン秋山「西武時代以上にうれしいよ」

 クールな男のホオを大粒の涙がつたう。王ダイエーを、キャプテン秋山が最後の最後までけん引し続けた。「よかった。よかった」。それ以上は言葉にならない。優勝ペナントを先頭で引っ張り、グラウンドを1周。背番号1の顔に笑顔と涙が何度も交錯した。

 4万8000人の超満員のスタンドをいきなり興奮に包んだ。「腕もしっかりと伸びたし、完ぺきだね」。日本ハム先発伊藤のカウント1-3からだった。打球は強烈なライナーで左中間スタンドに突き刺さる先制12号本塁打。先頭打者アーチはナインから優勝プレッシャーを取り払った。8日の西武戦(福岡ドーム)で松坂から左顔面に死球を受けた。左頬(きょう)骨骨折。まだ左ホオには痛みが残る。だが、秋山に妥協はなかった。選手生命さえ左右しかねないアクシデントもかえりみずチームを鼓舞し続けた。ベンチから離れないでくれ、と王監督に頼まれたときもはれ上がった顔を向け「こんな顔でよかったら」と、ふたつ返事で答え、ベンチに入った。

 「西武時代以上にうれしいよ。オレのあとに2本もホームランを打ってくれたしね。うれしいよ」。

 常勝西武からトレードで移籍し6年目。ようやく「V請負人」の役目が果たせた。契約最終年にかける王監督の情熱に打たれ今春のキャンプで「キャプテン指名」を素直に受け入れた。言葉で引っ張るのは苦手。だが、最後の最後に来てナインにカツを入れた。「オレたちはチャレンジャーなんだ。とにかく思いきってやろう」。9月初旬に行われた決起集会でナインの前に立ったとき自然と熱い思いが口をついた。壇上から声を絞る秋山の姿に、ナインの気持ちはひとつになった。野手最年長男は王監督に続いて、ナインに背中を押され3度宙に舞った。

◆西武東尾監督3連覇ならず「まだ若いな」とため息

 西武東尾監督は神戸市内の宿舎の自室にこもり、テレビでダイエー優勝を見届けた。王監督の胴上げに悔しさがこみ上げ、自然に口数も少なくなる。広報担当者を通じて「おめでとうございます。今はそれしかありません。また、あらためて話をします」とだけコメントした。デーゲームでの敗戦後は宿舎ホテルの自室で1人、グラスを傾けた。

 この日も打てなかった。今季9度目の零封に、8度目のサヨナラ負け。9回2死まで無失点に抑えた西口が一、二塁のピンチに不運なレフト前打を浴びた。清水の好返球も数センチの差でハーフバウンドとなり、伊東の右手に当たりこぼれた。東尾監督は「西口はよく投げた」「ツキがなかった」の質問に「そうだな、その通りだ」と力なく答えるだけだった。4月3日の開幕戦は西口が完封し、ダイエーに1-0でサヨナラ勝ちした。相手はオリックスも、その逆の展開での皮肉な終戦ともなった。

 昨年の日本シリーズの敗戦の反省から、打つだけのマルティネスを解雇し、守備型のチームを目指した。しかし在籍した6人の外国人はそろって期待を裏切り、打線の低迷を呼ぶ。そしてもう1つ、東尾監督が心配していたことがあった。「連覇を経験してうちの選手は一流に成長した。しかし、まだ超一流じゃない」。この日も7回1死二、三塁の場面で和田が簡単に三塁フライを打ち上げた。勝負どころで力を発揮できない若手に東尾監督は「まだ若いな」とため息をついた。3連覇はならなかった。悔しさと課題を胸に、巻き返しを目指す。

※記録や表記は当時のもの