中日森野将彦内野手(39)が24日、ドラゴンズ一筋21年間の現役生活を笑顔で終えた。今季から実施の「引退選手・特例登録」の適応チーム1号で広島戦(ナゴヤドーム)に出場選手登録。引退試合に臨んだ。7回に代打で一ゴロに倒れたが、ナインがはなむけのサヨナラ勝利をプレゼント。白井文吾オーナー(89=中日新聞社会長)は勝負強い打撃で一時代を築いた手腕を期待し、来季は2軍打撃コーチ就任が有力となった。

 最後まで森野は笑顔満開だった。2点を追う7回無死一塁に代打で登場。一ゴロに倒れ、一塁走者に残ると1学年先輩の荒木が代走に出て交代。白い歯をこぼして握手を交わし、ベンチに下がった。21年間の活躍をねぎらうように、ナゴヤドームは拍手に包まれた。広島ファンで真っ赤に染まった左翼席からも森野コール。藤井、東海大相模の後輩の広島田中から花束を受け取り、大歓声に応えた。

 サヨナラ勝利後、セレモニーで長男凌真(りょうま)さん(13)と長女凛(りん)さん(10)から花束を受け取ると、優しい顔になった。マウンド付近で胴上げされ、背番号と同じ7回宙に舞った。会見でも「とにかく笑顔で終われて幸せ。悔いなく終われた。僕らしくていいと思います」と笑った。

 7月2日の広島戦で右太もも裏を肉離れ。8月に2軍で実戦復帰したが再発した。ここ2、3年は思い通りの打撃ができずに苦しんだ。ケガ予防のためにオフは1人で黙々と走り込み、8キロの減量に取り組んだ。今季に懸けていた。

 それでも同じ箇所を痛めてしまった。球団最多378盗塁の荒木に「森野はこのチームで一番ベースランニングがうまい」と言わしめた男が、走りだすことに初めて恐怖を感じていた。「心の糸と肉の糸が切れた」とユニホームを脱ぐことを決意した。

 本拠地最終戦を視察した白井オーナーは「打撃コーチとして正式にやってもらおうと構想している。彼はなかなかおもしろい男。チームが明るくなる」と明言。来季は2軍打撃コーチに就任することが有力。5年連続Bクラスに沈んだチームに、森野は「やらなきゃいけないでしょう。節目なのかなと思います」と後進育成に気合十分。勝負強い打撃でチームを支え、中日一筋21年。強竜復活へ、次の仕事に向かう。【宮崎えり子】

 ◆森野将彦(もりの・まさひこ)1978年(昭53)7月28日、神奈川県生まれ。東海大相模では2年春に甲子園に出場。96年ドラフト2位で中日入団。1年目の97年8月29日ヤクルト戦で初先発出場し、ブロスからプロ1号。10年にベストナイン、14年にはゴールデングラブ賞を獲得するなど中心選手として活躍。通算1801試合は球団8位。180センチ、85キロ。右投げ左打ち。