21年ぶりのキャンプ風景から、何が見えてくるのか? 入社30年目の井上真記者(54)が、98年のヤクルト・ユマ以来となるプロ野球キャンプ取材を「キャンプ放浪記」としてお伝えします。2回目は大輔フィーバー今昔を考証します。

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う~ん、放浪生活が身に染みてきた。というか、板についてきた。沖縄本島を巡り、たどり着いたのは那覇から約90キロの国頭村。日本ハム2軍キャンプだ。

吉田輝星を見に来た…のではなく、昔の甲子園のスター、荒木大輔2軍監督(以下荒木監督)が、今はどんな感じに疲れているのかを確認しにきた。「あれ?」と言いながら放浪記者の顔を見ていたが、いきなり「広報を通して」。もちろん、そんなジョークはまったく聞こえない。そのまま監督室へ。

荒木監督 まだ記者やってたの? 相撲担当になって、朝青龍を怒らせたのは知ってるよ。

どうして久しぶりに取材する人たちは、まあまあの失礼なコメントしかしないのだろう。それは自分に原因があるんだと、うすうす分かってます。

そうだ、同じ大輔つながりだから、ちょうどいい。「松坂がファンとの接触で右肩に違和感を覚えたという報道があるが、どう思った」と聞いてみた。松坂大輔の「大輔」は、両親が荒木大輔のファンだったことが由来している。

荒木監督 今と昔では違うし、松坂がどういう状況だったか分からないよ。ただ、俺の時はひどかったね。腕も引っ張られたし、ひどい時はユニホームの首元を後ろからつかまれて、のどがしまったこともあったからね。あれは、ファンとかそういう次元じゃなかったよ。やっぱり、触れ合う場面も大切だし、選手がファンサービスに協力することもある。その上で、選手を守ることを最優先にしないとね。うちは厳しくやってるよ。

99年の西武の高知・春野キャンプでは、ルーキー松坂にファンが殺到した。球団は警備員を増員したが、殺到するファンの迫力はすさまじかった。やむにやまれず、球団は影武者作戦に出る。背格好が近い谷中に松坂のユニホームを着せて、ファンが集まる正面から外に出す。ファンが殺到して影武者が移動した後、本物がブルペンへ急ぐ、そういう作戦だった。

しかし、そうなるとファンは本物を見つけると必死になり、走って追いかけた。当時流行だった厚底サンダルの母親が子供を抱いたまま巻き込まれ、転倒するアクシデントも起きた。球団が車を手配し、転倒から数分以内に病院へ連れていき大事に至らなかったが、それほどの混乱を松坂人気には感じた。

今も松坂の魅力は健在だ。そして、こういうことが起きると、ファンとの距離感を維持するのが難しくなる。どうにか、ならないものか。荒木監督が言うように、最優先は選手の安全だろうなと、当たり前のことを考えながら運転していたら、ふと看板が目に入った。「なんだ、なんだ」。絶滅危惧種のウミガメを保護するための柵が道路脇にある。車道に迷い込まないような工夫だ。へぇ~と思い、じっくり観察。

対策を講じないで心配ばかりしていては、大切なものは守れない。やっぱりアクションは必要だな。荒木監督はこんなことも言っていた。

荒木監督 俺の時は、いつからか、チームメートが周りを囲んで守ってくれるようになった。頼んだわけでもないのに。その気遣いがうれしかったし、今もみんなで会うと、俺の周りを囲んでくれて。『もう必要ないよ』って。ありがたいよね、そういう仲間がいてくれて。

相撲でも琴欧洲(現鳴戸親方)が大関時代にムッとしていて、どうしたのか聞いたところ「おじちゃんにたたかれた」と説明してくれた。たどたどしい日本語で怒りの形相で「おじちゃん」と表現したから、ミスマッチに和んでしまったが、本人からすれば、いきなり体を強くたたかれるのは不快だ。

スター選手を見て、力士を見て、興奮して触りたくなる。触られる方は、商売道具の体を守る。だから距離を取るしかなくなる。まず、選手の安全を優先しないとだめだな。放浪記者の結論は、ド直球の平凡なものに落ち着いた。