ロッテ吉井理人投手コーチが、日米を股に掛けたイチローとの思い出話を明かした。ヤクルト時代の95年。日本シリーズで対戦した。「神宮でね。大きい当たりを打たれました」。5回に右犠飛を打たれた。過去には俊足に“負けた”こともある。「ファーストゴロで一塁ベースカバーに走って、2回くらい追い抜かれた。こっちも必死でしたけど、めっちゃ足が速かった」

一足先に大リーガーとなり、イチローの渡米と同じ01年春、ロッキーズを解雇された。「私がクビになった試合で、イチローがうちのキャンプ地に来た。それまで日本の報道陣なんて1人もいなかったのに、よりによってクビになった時にたくさん引き連れてきた」とほろ苦い記憶も残る。

当時のメジャーはパワーありき。ステロイドを使用する選手が多数いた。「1番打者でも50本ホームランを打つような時代」。アメリカンスタイルにそぐわないイチローの評価は高くなかった。「でも長いこと活躍を続ければ認めざるを得ない。今ではスモールベースボールっていうくらい。イチローが変えるきっかけになったのかなと思う」

米国中に愛された功績を「寂しいけど、おめでとう以外の何物でもない」とたたえた。だが、勝っていることもある。「1つ自慢していいですか。イチローより先に、盗塁しといてよかったです」。MLB日本選手初盗塁は吉井理人。歴史に名を刻む“記録”に、笑顔で締めた。【鎌田良美】