日本ハムは2018年で北海道移転15年。過去の名場面、珍場面を、当時の紙面とともに振り返ります。

<07年6月24日付>

球団初の交流戦優勝は甲子園の阪神戦で決めた。先発マウンドはダルビッシュ。9回に同点のまま降板したため白星はつかなかったが、11奪三振の気迫の投球で貢献した。「投げやすいとかはないけれど、高校時代の体力に戻りました」。ジョークを交え聖地での歴史的1勝に酔いしれた。

延長11回に決勝2ランを放ったのは小谷野。「何も覚えていないです。痛い思いをしたからこういう結果が出たんじゃないですか」。初回の第1打席に、顔面に死球を受け鼻血が止まらなかったが、脱脂綿を詰め込んで復帰。第6打席に歓喜の瞬間が待っていた。

チームはこの年、交流戦(18勝5敗1分け)の勢いそのままに、シーズンも制してリーグ連覇まで駆け上がった。以降、09年、12年、16年にもリーグ優勝を果たしているが、交流戦に関しては12年、15年の2位が最高。パ・リーグが9年連続で勝ち越しており、交流戦でつまずくとリーグ戦再開以降にも大きく影響する。はたして今年は…。