巨人上原浩治投手(44)が、シーズン途中に現役引退の意思を球団に伝えていたことが19日、分かった。昨年2018年7月20日には広島14回戦(マツダスタジアム)で日米で過去1人しかいない通算100勝、100セーブ、100ホールドの「トリプル100」の金字塔を達成。メジャーから古巣巨人入りを選んだ経緯、記録達成までの胸中はどうだったのか。上原の偉業に敬意を表し2018年7月21日付、当時の日刊スポーツに寄せた手記で「雑草魂」の生きざまを振り返る。

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一般的にはそう認知されていないけど、自分にとっては感慨深い記録になった。記録を達成したいという目標がなかったら、野球をやめていたかもしれない。今年、メジャーでやれなかったら引退なんて言っておいて撤回。恥を忍んで撤回できたのも、どうしてもやり遂げたいという気持ちがあったから。達成してよかったというより、この記録に感謝しているっていう気持ちだった。

とにかく、しんどかった。1月まではヤクルトの田川と一緒にやっていたし、リハビリ中のライアン(小川)とか、ちょこちょこ練習に来てくれた。もともと1人で自主トレするのは好き。でも移籍先が決まっていない状況の“1人自主トレ”は、精神的なつらさがある。特につらかったのは、本来ならアメリカのキャンプに合流している2月上旬を過ぎてから。「厳しい練習しても意味あんのか?」って、アホらしく思えてくる。嫌なことを考えないようにがむしゃらに練習すると、体の節々が痛くなる。ブルペンで投げても、集中力が続かなかった。

俺はなんのために練習してるんだ? 自問自答した。1番は野球が好きってこと。でも、いつ引退しても悔いはない。本当かな? やり残したことはないかな? 引っ掛かってきたのが、この記録だった。好きな野球を続けたいから自分で勝手に記録を持ち出してこじつけているだけかもしれない。でも、それはやってみなければ分からないと思った。ただ、チャレンジせずに辞めてしまったら、その答えは一生、分からないまま。日本人で達成した投手はいない。それならやってやろうってなった。

巨人が声を掛けてくれたのは、本当にうれしかった。これでモチベーションも万全。でも、いざ投げてみると「やばい」って感じ。アメリカに行ってからも、自主トレは日本でやってた。ブルペンも日本の軟らかいマウンドで投げてたけど、実戦で投げるつもりでやると、感覚がまるで違う。今まで投げていたようにスプリットが落ちない。打者と対戦する感覚もない。理由は球団に言わなかったけど、早く日本仕様に仕上げたかったから正式契約やメディカルチェックを前倒しに早めてもらった。開幕当初は急ピッチのツケが残っていたけど、もう大丈夫。これからは、どんどん投げられると思う。

この記録は、自分自身がプロの世界で歩んできた道のりを表している。先発、抑え、中継ぎは、それぞれ役割が違う。先発していた当時は「抑えは投手の墓場」だと思っていた。今でもその考えは変わらない。

先発は投手として総合力が高くないとできない。総合力さえ高ければ抑えや中継ぎはできるし、長いイニングを投げるために必要な体の強さやスタミナなんかも若い時の方がいい。別に抑えを軽くみているわけじゃないが、ジャイアンツの若手には「若いうちは先発できるように頑張らないと」と話している。今、中継ぎをやってる宮国なんかは、来年もう1度先発にチャレンジしてほしい。能力は持っているんだから。

抑えと中継ぎも違う。抑えは出番が分かりやすいからコンディショニングを整えやすい。だけど打順とか、打者の右左を選べない。相手も最後の攻撃で、集中力も高い。中継ぎは左打者が続く流れだったり、相性の悪い打者から始まるなら、別の投手が投げられる。だから変に弱気になるようなこともなく、思い切り打者に突っ込んでいける。負担になるのは、いつ投げるかがはっきりしないところ。だから抑えより肩を早く作る能力も必要。走者のいる場面から投げるケースも、抑えより多い。けん制球やクイックの技術も、高いレベルが求められる。

前にジャイアンツにいたときは、ポスティングでメジャーに行かせてもらえなかった。他球団は違ったし、当時は「なんで俺だけいかせてくれないんだ」と不満に思っていた。でも、メジャーで活躍するのが目標だったし、そのためにはジャイアンツで頑張らないといけない。抑えは「投手の墓場」って言ったけど、墓場に入ってから長いこと野球をやってこれたのも、ジャイアンツで頑張ってやってきたから。今では本当に感謝している。他球団だったら、ここまで野球を続けられていなかったと思う。

 若い選手も多くて、最初はなじんでいけるか心配だった。でもみんな一生懸命。チーム内の雰囲気もいい。このチームなら、必ず優勝できると信じている。(巨人投手)