JR広島駅からマツダスタジアムへ続く「カープロード」沿いに30日、「津田恒美記念館」がオープンする。広島の守護神として活躍し、脳腫瘍のため1993年(平5)に32歳の若さで他界した「炎のストッパー」、津田恒実さんゆかりの品100点あまりが展示される。1人息子の大毅(だいき)さん(30)がクラウドファンディングで資金を集め、開館にこぎつけた。その思いを聞いた。【取材、構成=村野森】

   ◇   ◇   ◇

-大毅さんの経歴は

大毅さん (母の実家の)熊本で育ちました。九州学院で野球をして、九州国際大に進みました。(カープの)松山さんと1年だけかぶっています。2年から父がお世話になった古葉竹識さんに指導を受けるため、東京国際大に編入しました。4年まで野球をやり、それから埼玉で会社員をしていました。冠婚葬祭の会社に3年半いて、その後は都内で営業をやったりいろいろです。そこからいろいろご紹介をいただいて、多くの方にご協力をいただき記念館をオープンします。

-記念館開館のきっかけは

大毅さん 父の実家が山口県の周南市にあるんです。17~18年前に祖父が亡くなってからは空き家状態で、親戚がたまに風を通したりしていました。裏の山に父の墓があるんですが、ファンの方がお墓参りされた際に、実家にあるトロフィーとかグラブとかを見せていただけないですか、という問い合わせが多かったんです。飾れるような場所をつくれたらというのが始まりです。

-開館までの経緯は

大毅さん 思い立ったのは3年くらい前です。最初は実家を記念館にするつもりでした。いろいろな方とお話ししていく中で、父が活躍した広島に、津田恒実に触れられる機会がないのは寂しいとおっしゃっていただくことがすごく多かった。広島にはまったく知り合いがおらず、右も左もわからない状態から手探りで始めました。今年に入って広島に引っ越しました。

-2年前にクラウドファンディング(CF)で資金を集めた

大毅さん そうです。目標にした400万円が初日の5時間で集まりました。最終的に2600万円になりました。1631人の方に支援していただきましたが、6~7割が中国地方の方。CFを始めた翌日から半年かけて自転車で日本中を回りました。宣伝になればというのもありましたし、どこまでファンがいるのかなというのを知りたかった。もともと自分が(日本一周を)やりたかったのもあります。

-日本一周の思い出は

大毅さん 目標にしていたのは県庁所在地の主要駅でした。その前で写真を撮って、ツイッター、フェイスブックで告知して、ファンの方と待ち合わせみたいにして。47都道府県、やりました。北海道は最北端の稚内まで行き、最南端は沖縄の波照間島まで。新潟で小さな空気入れが壊れたことをツイートしたら、片道2時間ぐらいかけて届けてくれた方がいました。どこにいるかを予想して。どこに行っても父のファンの方はいらっしゃいました。

-記念館にはカフェが併設されている

大毅 ふだん、自分はカフェにいます。年中無休ですが、月曜日だけは自分はお休みをいただきます。

-どんな展示品

大毅さん ユニホーム、グラブ、スパイク、写真…。広島時代や、南陽工時代のものや家族写真もいくつかあります。工業高校で使った文房具を入れる箱みたいなのもあるんですが、それに「キャンディーズ」って自分で書いてあって「ラン、ミキ、スー」って書いてあるんです。キャンディーズが好きで、誰か1人「推し」がいたそうです。100点以上はあります。20畳くらいのスペースにショーケースを置き、見ていただこうと思っています。

-父の思い出は

大毅さん (4歳のときに亡くなっており)父の現役のころはまったく覚えていないです。1歳、2歳ですからね。ちらっと覚えているのは、病院にお見舞いにいってる場面。父については後でテレビで見て、知りました。目元が似ていると言われます。親戚には「残念だったね」と言われます(笑い)。

-カフェは13日からオープンしている

大毅さん お世話になった方への感謝の気持ちを忘れず、父のファンの方に恩返しできるように精いっぱいやっていきたいですね。

◆広島の14 津田氏が85~91年に背負った「14」は田所重蔵、大田垣喜夫、山田清志、弘瀬昌彦、外木場義郎、片岡光宏から引き継がれた番号で、田所以外は投手。津田氏以降は、5人の投手に受け継がれている。92年は欠番で、93~96年が鈴木健、97~05年が沢崎俊和、06、07年が梅原伸亮、08~13年篠田純平、そして14年から大瀬良大地。

◆津田恒美記念館 広島市南区荒神町1の8 2F。「CARP ROAD CAFE Stadium」に併設されている。名前の表記は引退時の「恒実」でなく、プロ入り時の「恒美」。年中無休。入場料は大人500円、学生400円、小中学生300円。問い合わせは「SPORTS FUNBASE Hiroshima」carproad@sportsfunbase.comまでメールで。

◆クラウドファンディング インターネットを通し不特定多数の人から資金や協力などを集めること。防災やベンチャー企業への出資、アーティストの支援など多岐にわたって活用されている。

◆津田恒実(つだ・つねみ)1960年(昭35)8月1日、山口県生まれ。南陽工で78年春夏に甲子園出場。協和発酵を経て81年ドラフト1位で広島入団。1年目に新人王。86年から抑えに転向し、22セーブでカムバック賞。89年に最優秀救援投手。「炎のストッパー」と呼ばれた。通算成績は286試合で49勝41敗90セーブ、防御率3・31。91年に引退。93年7月20日、脳腫瘍のため32歳で逝去。12年に野球殿堂入り。現役時代は181センチ、79キロ。右投げ右打ち。