「世界の代打男」元阪急(現オリックス)の内野手・高井保弘(たかい・やすひろ)さんが、13日午前9時44分、腎不全のため兵庫・西宮市内の病院で死去した。74歳。

74年の球宴で代打サヨナラ弾を放つなど「代打男」として活躍。代打本塁打通算27本はプロ野球最多で、メジャー記録をも上回る“世界記録”。通夜は14日午後6時から、告別式は15日午後0時半から西宮市高畑町2の25「エテルノ西宮」で営まれる。喪主は故人の妻・高井安枝(やすえ)さん。

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「世界の代打男」が逝った。愛媛県出身の高井さんは、今治西から名古屋日産を経て、64年に阪急に入団。2軍では首位打者や本塁打、打点のタイトルを獲得するなど結果を残したが、なかなか1軍では起用されなかった。それでも代打要員として、プロ9年目の72年には1軍に定着した。

代打でも「打席に立ったら、絶対相手の投手に気持ちで負けない。自分が4番打者だと思って打つ」というのが信条で、投手のクセや配球を徹底的に研究し、勝負強い打撃で活躍した。ベンチで出番を待つ間も、相手投手や捕手の動きを目で追い続けたという。

その真骨頂が、74年のオールスター第1戦。監督推薦で出場していた高井さんは、1点を追う9回1死一塁で、ロッテ山崎の代打で登場。ヤクルト松岡の内角低めのストレートを左翼席へたたき込む逆転サヨナラ2ランを放った。球宴史上初の代打サヨナラ本塁打ともなり、この試合のMVPにも選ばれた。このときも「右投手の松岡の場合、振りかぶって投げる直前、左肘がやや上がれば落ちる変化球、普通なら直球」と見抜いていた。

鋭い観察眼から生み出す豪打で「代打男」として知られ、74年はパ・リーグ記録のシーズン代打本塁打6本を放った。通算27本の代打本塁打はプロ野球最多。米大リーグ記録のM・ステアーズ(ナショナルズ)の23本を上回る“世界記録”だ。

75~78年にリーグ4連覇を果たし、日本シリーズでも3連覇(75~77年)した阪急黄金期には、指名打者や一塁手としても数多くプレー。77年には指名打者でベストナインに選出され、78年には22本塁打をマーク、チームの優勝に貢献した。通算1135試合に出場し、打率2割6分9厘、130本塁打、446打点。

82年限りで現役を引退した後は、解説者などを務め、ビル管理会社でガードマンとして勤務していたこともある。プロ野球の“レジェンド”がまた1人、世を去った。

◆高井保弘(たかい・やすひろ)1945年(昭20)2月1日生まれ、愛媛県出身。今治西高から名古屋日産を経て64年に阪急入り。66年に1軍デビュー。通算27本の代打本塁打はプロ野球記録。77年にベストナイン。82年限りで引退。現役時代は173センチ、90キロ。右投げ右打ち。長女は元宝塚月組・松波美鶴で、天海祐希らと同期。