プロ野球南海(現ソフトバンク)で捕手兼任監督を務め、ヤクルト、阪神、楽天でも指揮を執った野村克也(のむら・かつや)さんが11日午前3時半、虚血性心不全のため死去した。84歳だった。

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野村監督が、上空の橋を渡っていったのかもしれない。11日夕方、ヤクルト1軍キャンプ地、沖縄・浦添のよく晴れた空に虹がかかった。高津臣吾監督(51)は「僕の作戦、采配を見てほしかった。必ずどこかで見ていてくれると思うので、恥ずかしくない野球をしたい」と誓った。午後の打撃練習前には衣笠球団社長を始め全選手スタッフがグラウンドに並び、半旗に向かって黙とうをささげた。12日の練習試合サムスン戦(浦添)では、喪章をつけて試合に臨む見込みだ。

感情があふれ、何度も右手で涙をぬぐった。「一から十まで、プロ野球の難しさ、厳しさを教わった。楽しいこと、素晴らしいこと、苦しいこと、すべてが思い出です」。現役時代、守護神という重圧のかかるポジションを、93年途中から任された。打たれても、逆転を許しても怒鳴られたことはなかった。セーブを挙げた際、ハイタッチで掛けられた言葉は「ありがとう」か「サンキュー」だけ。思いのこもったひと言が、最大の褒め言葉だった。

会う度に「抑えにして悪かった」と言われた。近年は監督と選手だった距離感が縮まり、何でも聞ける間柄になった。1月に行われたOB会の際には「最下位からのスタートだ。気楽に、思い切ってやりなさい」と激励を受けた。「考えてやる野球、ノビノビと楽しませてもらった経験をいかしたい」と野村イズムを継承する。【保坂恭子】