阪神、日本ハム、メジャーでプレーし、14年ぶりの日本球界復帰を目指す新庄剛志氏(48)が18日、引退後初となる連載『みなさん、夢はあるかい!?』の第2回で、インドネシア・バリ島での生活を語った。

現地では6畳一間、家賃3万円のアパート暮らしで、トレーニングに明け暮れながら挑戦を続けている。【取材・構成=寺尾博和編集委員】

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インドネシアのバリ島で暮らすおれは、午後2時ぐらいからトレーニングを始めています。朝の涼しいときに体を動かすのは、なんか甘えてるようでイヤなんです。

だから、あえて一番暑い時間帯を選んでやってます。セミが「みーん、みーん」って鳴いてます。ほんとに暑い。真夏の広島市民球場、ナゴヤ球場ぐらい暑いのよ。

あくまでも個人練習だから、こっちでやれることは限られてます。ウエート器具にしても、おれが求めているバージョンがない。自分で考えながら孤独のトレーニングを続けています。

例えば、重いガスボンベを約30メートル間隔で置いて移動させる。小さい頃、造園業を営んでいたおやじ(英敏氏)の手伝いで、石をかついで運んだのが、握力、下半身の強化につながったのを思い出した。

最初は素早い動きができなかったり、体の回復が遅かった。正直、ずっと恵まれない環境でやってる。でも、それがまたメチャクチャ楽しいんですよ。みなさん、思い通りになる人生なんてありますか?

こっちに住むようになったのも、CM撮影で訪れたときの“ひらめき”でした。仕事が終わって、ビーチにいたら満天の星が輝いているわけよ。「あっ、ここは自由の国だ」と思った。それですぐに仕事を全部キャンセルしたんです。

プロ野球選手へのチャレンジ、これは精神との勝負だと思ってるんです。こちらが気持ちで負けたらトレーニングもおろそかになってしまう。強いメンタルがないとゲットできない。

今は6畳一間、家賃3万円のアパートを借りています。ここからジムが近くて、とにかく自分を追い込んでます。やってるか、やってないかは、おれの体をみたらわかると思いますよ。

食事はほとんど市場で屋台みたいなところでチキンとかを食べる。市場の名前? 英語だからわかんない。自炊もたまにします。目玉焼きぐらいはできますよ。食事の時間もトレーニングに充てたいから、もったいないという気持ちです。

今は、ゆっくり急いでるという感じですかね。体のどこかが切れてしまったら、これまでの練習がゼロになってしまう。もうおれの気持ちは100パー(%)日本に飛んでます。

◆新庄剛志(しんじょう・つよし)1972年(昭47)1月28日生まれ、福岡県出身。西日本短大付から89年ドラフト5位で阪神に入団。意外性あふれる打撃と強肩を生かした守備で、規格外の人気を獲得。00年オフFAでメッツ移籍。04年に日本復帰し日本ハムに加入。06年引退。日米通算1714試合、1524安打、225本塁打、816打点、打率2割5分2厘。現役時は181センチ、76キロ。右投げ右打ち。

■新庄氏引退後の歩み

◆バリ島移住 引退翌年の07年からインドネシア・バリ島に移住。ハンモック付きのプールのある豪邸で暮らし、必要に応じて日本を行き来した。

◆デザイナー 07年11月、ゲルマニウムブレスレットのデザインを手掛けた。

◆実業家 08年1月に株式会社レハサフ設立。香水、携帯ストラップのデザインなどを手掛け、環境問題に取り組むと発表。

◆芸術家 09年7月に札幌ドームでエアブラシアート展を開催。

◆馬主 愛馬「タノシンジョイ」を擁して地方競馬に参戦。09年9月の船橋競馬での初戦で勝利を飾った。

◆映画 少年野球を題材にした10年春公開の「僕たちのプレイボール」で、エグゼクティブプロデューサーを務めた。

◆現役復帰宣言 19年11月、インスタグラムで現役復帰を宣言。