今季限りでの現役引退を決めた阪神藤川球児投手(40)が1日、兵庫・西宮市内で引退会見を行った。「1年間、体の準備が整わないのはプロとして失格」と決断理由を語ったが、「僕は僕でもう1発、なんとか」と1軍戦力に戻る決意を明かした。目標はあと5に迫る日米250セーブではなく、「優勝すること」ときっぱり。98年の入団会見時に宣言した3度目Vで有終の美を飾るべく、大逆転Vを信じて体を仕上げる。

<一問一答>

-まだシーズンが終わっていませんが、22年間お疲れさまでした

「まだあと2カ月あるからね、気合入れて頑張りますよ」

-引退を決断した今の率直な思い

「プロに入って一番最初に引退を考えたのが27歳だから(笑い)。いつでもそういう気持ちでやってきましたから。アメリカで解雇にもなりましたし。去年終わった段階で、自分へのチャレンジに勝ったという認識でいるんですよね。自分じゃなくてもチームにとって、タイガースにとっていい選手、使える選手、強い駒として出てくれる選手が出てくればそれでいい、という思いでやってましたので。必然というか」

-最終的に引退を決断された時期は

「(球団に)伝えたのは8月です。ただ、どちらにしても今シーズン限りとは思いました」

-引退を決断した一番の大きな理由

「6連戦中に6試合全て登板する準備があるというのが、僕のモットーなんですけども。それが3試合、4試合ぐらいの週もあるんですけど。今年のシーズンが始まって準備していく中で、2回連投になることすらあれって思ったんですよね。これは体がおかしい。例年いつも『お迎えが近い』というふうに思ってたんですけども。前向きに倒れるという覚悟で常にやっていますから。いよいよ来たなという感じなんですよね」

-右腕、右肩、右肘、現在はどのような状態なのか

「状態に関しては、あと2カ月半か、何とか監督のために支えられるようにと。これは願ってはないんですけど、1軍の選手、2軍の選手も含めて、どうしても自分の力が必要になることもありうるということで準備はしていきます。なのでちょっと(状態は)伏せておかないといけない」

-このタイミングでの発表

「コロナの関係もありまして。僕はタイガースに入って常に、全国各地でたくさんの応援を頂いてこれまで現役をやってきたわけですけども。この発表が遅れると、もしかして自分のことを、火の玉ストレート見たい、と思ってくれているようなファンの方が1人でもいる場合に、球場に行くチャンスというのは少ない、今(上限が)5000人なんで。そういうのを考えるうちに、そういう考えになりました。出来るだけ早く。あと引退を決めると、こういう人気球団でありますから。どこかからそういう情報もね、詮索が始まってしまいますので。即断即決っていうのはしました」

-引退を相談した人は

「相談はしないです。周りとのバランスを考えた上で、自分なりに自分が思うチームへの最善の配慮をしたつもり。例えばこれがアメリカであればその日に解雇です。それが日本とアメリカの違いなんですけど、義理を果たして最後までやりたいなあ、というのは思ってます」

-家族にはいつ伝えた

「家族はね。いっつも伝えているし、アメリカで解雇にあって。2回あったんか。肘のドクターチェックで契約が無くなってっていうのがありまして、3回目。独立リーグで4回目(笑い)。まあまあ家族にしたら、もういいおじさんなんだからいいじゃないっていう感じ。まあ、辞めた後いつからでも、この後の人生でもっと面白い人生送ろうぜっていうのは、うちの家族と自分の周りにいる人にはいつも言っていたんですけども。野球が全てじゃないよ、と。だけどもう40歳になると、それ以上の夢っていうのは出てくるはずなんで、もう十分、覚悟は十分っていうふうに思いましたね」

-矢野監督に話は

「伝えましたけども、矢野監督には伝えてないです、矢野さんに伝えました。監督と選手としては、必要であればあと2カ月半で使ってくれればいいし。力がなければ他の選手でやれればいいし。勝つためにやっている。だけど、矢野さんには話しました。電話しててね『矢野さん、監督じゃなくして話を聞いてくれますか』と」

-この22年間はどんな野球人生

「僕なかなか戦(いくさ)の話とか好きで。粉骨砕身っていう。そういう意味で…。(涙をこらえてうつむく)。セーフですよね(笑い)。待って下さい、ちょっと落ち着かせますので。(また涙をこらえてうつむく)。前向きであり続けたことが、良かった。本当は、そんな強くない人間なんですけど、やっぱり叱咤(しった)激励が多くてね、それを覆すのが楽しかったですね。だから前を向こうと思いました」

-ファンのみなさんの存在は

「まあ、家族ですね。家族。ほんとに一緒になって相手を攻撃してくれるし。ないと寂しいですもんね、本当に」

-甲子園のマウンドは

「まあ、球児っていう名前をもらっているので。非常におこがましい話になりますけれども、日本で何人球児っていう名前の人がいるか分からないですけど、まあ自分にとっては母親みたいな存在じゃないですか」

-甲子園で抑えとして最後を任されることは特別か

「特別…自分だけがそう感じるのは失礼だし、やっぱり僕は家族、スタンドにいるファン、僕が生まれるもっと前からいた阪神ファンの人のためにやる義務があるんですよね、生え抜きとして。そこはプライドあったかな」

-明日以降はどんなシーズンにしたい

「いつも最後だと思っていたんで、まったく悔いはないですけれど、あの…なんて言うのかな。精いっぱいやります、とりあえず、精いっぱい。だけど選手たちに言いたいのは、辞めていく選手に負けるな。負けるなと思うし、俺に負けているようじゃダメですよ。巨人に勝てないです。僕はそれを願います。もう譲ろうとしてるわけですから」

-ファンはリーグ優勝、日本一のマウンドにいてほしいと

「ありがたいですね。だけど勝負に勝つというのはそんなに甘くない。勝つためには今ある戦力をどれだけ使って監督が自由に立ち居振る舞って、僕はその本当に戦国時代が好きなので。僕は途中で倒れるかもしれないけど。そういう先輩をいっぱい見てきたので…(沈黙し、うつむき、また涙をこらえる)。まあ誰かがやってくれるし、その誰かがみんなが俺だ、って思えばいいんですよ。タイガースのユニホームを着ている時点でもう人はないんですよ。誰でもいいんですよ」

-日米通算250セーブという数字に関しては

「周りの方はたくさん言ってくれるんですけども。本当に建前なしに言わせてもらうと、考えることはないです。別にそれがあろうがなかろうが自分には何も変わらないですね。だけど、目指している人がいて、それが生きがいだという人は素晴らしいと思います。僕はポジション的にたまたまそういうふうに感じることができなかった。それよりも重要なものがありました」

-引退後の考えは

「まだ辞めてません。考えは持ってますけども。40歳になったらもちろん持ってますよ。だけど今は毎日全力でやっていく立場なので。あと2カ月半、最後までやってみたいなと思ってるところです」