巨人原辰徳監督(62)が9日の中日戦(ナゴヤドーム)に勝ち、13年に死去した川上哲治監督と並ぶ監督通算1066勝目をつかんだ。 ヘッドコーチだった01年秋に、長嶋監督の後任として監督就任。「V9」を達成した大先輩が持っていた監督通算勝利数の球団最多記録に並んだ。

  ◇    ◇    ◇

<川上監督アラカルト>

◆初のベロビーチ・キャンプ

監督1年目の61年、2月下旬から約1カ月間、米フロリダ州ベロビーチで初のキャンプを実施。ドジャースの練習参加や実戦を通じ、本場の動きを体感。

◆哲のカーテン

情報漏れを嫌い「この世の中で一番嫌いなものはカメラマンと新聞記者」と公言。61年2月の宮崎キャンプから選手を練習に集中させたいとの理由から、グラウンドでの取材を規制した。

◆ドジャース戦法

コーチ時代に熟読した「ドジャースの戦法」を参考に、バント守備やカットオフプレーなど、当時のプロ野球にはなじみの薄かったチームプレーをたたき込んだ。

◆選手育成

金田正一を国鉄(現ヤクルト)から獲得し、その猛練習ぶりを長嶋、王に学ばせた。柴田勲を初の本格スイッチヒッターに育て、「8時半の男」宮田征典(故人)をクローザー専門に育てた。

◆コーチスボックス

71年、ファンサービスの一環でホーム試合で一塁コーチスボックスに立つ。リーグの後半戦は苦戦が続き、勝率5割台での優勝。

◆球ぎわ 安打性の打球に1歩踏み込んで捕る、球ぎわに強い選手になるよう指導した。「球ぎわ」は川上氏の造語。