巨人原辰徳監督(62)が9日の中日戦(ナゴヤドーム)に勝ち、13年に死去した川上哲治監督と並ぶ監督通算1066勝目をつかんだ。ヘッドコーチだった01年秋に、長嶋監督の後任として監督就任。「V9」を達成した大先輩が持っていた監督通算勝利数の球団最多記録に並んだ。

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歴代の名監督には「闘将」「知将」といった呼び名がある。「闘将」といえば星野仙一監督、「知将」といえば野村克也監督(ともに故人)の名前が浮かぶ。原監督は? 考えると、ピタリとくる形容詞が浮かんでこない。厳しい監督? 優しい監督? と聞かれても「どちらも当てはまるけど、どちらかに偏っているわけでもないんだよなぁ」が正直な感想だった。そんな漠然としたイメージがひとつになった試合があった。

8月4日の阪神-巨人戦(甲子園)。1点リードの8回無死一、二塁から、まさかのダブルスチール。奇襲を食らった投手馬場、ベースカバーに入った遊撃木浪もミスし(記録は馬場の悪送球と野選)、追加点を挙げて試合を決めた。

当初はエンドランかと思ったが、原監督を取材すると「ダブルスチール」だと明かしてくれた。二走は代走のスペシャリスト・増田大で、一走も走力がある丸。加えて阪神の内野守備陣は、投手を含めてそれほど守備力が高くない。奇襲の条件はそろっていた。

初球の直球がストライク。2球目のカットボールをファウル。3球目は直球を外角に外した。直球系が続き、3球目に外しているのだから続けないだろう。次は低めのボールゾーンに落ちる変化球-ここまでは想像できるが、エンドランだと思っていた。

ミート力のある坂本なら、ストライクゾーンは変化球でもバットに当てられる。想定通りに落ちる球をワンバウンドさせ、空振りさせたとしても盗塁が成功する確率は上がると考えた。三盗は走者が走りやすい状況でスタートを切るもので「次の球で走れ」という「ディスボール」のサインは出しづらいとも思った。

そう取材すると、原監督は「落ちる球がくる、という予想までは当たってるな。でも俺は相手バッテリーがボールゾーンで投げてくるシチュエーションで、エンドランは出さないよ」と爽やかに解説した。

「選手だって生活がかかっている。ワンバンなんて打てない。そりゃ、エンドランでボール球がくることはある。でもボール球が来そうだと分かっているのに、エンドランを出すのは打者に対して失礼だろ」

打者の坂本には打席で制限をかけないため、分からないようにダブルスチールのサインを出していた。この作戦の基になったのは、ロッテのバレンタイン監督だった。落ちる変化球がきそうな状況で、よくエンドランのサインを出した。

真面目で文句を言わない日本人の特性を利用した作戦だろう。原監督は「選手にとっては厳しいよな。でも戦術的には効果がある。それならスチールにすれば、打者にも負担をかけない」と説明した。メジャーの監督に復帰したバレンタイン監督は、選手との関係が悪くなって解任された。自尊心の強いメジャーリーガーに受け入れられる戦術ではない。

今では巨人野球の代名詞になっているが、勝利のためには4番にも送りバントさせる「厳しさ」がある。勝利を義務付けられた伝統球団だから可能な戦術だと思うかもしれない。しかし私が巨人担当をしていたひと昔前は、主力に送りバントをさせただけでも大騒ぎになった。逆方向への打撃指示や、狙い球を統一するようなチームでの戦略は、選手からのブーイングが大きく、実践しにくい雰囲気があった。厳しさを巨人に植え付けたのは原監督だ。

一方では選手が働きやすい環境を最大限に考慮する「優しさ」もある。先に挙げたエンドラン論もそうだし、一昨年には解雇の対象だった大竹、高木を残留させた。昨年の中島も同じ境遇だった。昨オフ「本人たちはクビだと思ってたんじゃないかな。でもそうやって残った実績のある選手は、死に物狂いで戦ってくれる。昨年なんか大竹と高木がいなければ優勝できなかった。今年はナカジ(中島)と岩隈がやってくれると思っているんだよ」と話した。残念ながら岩隈は登板なしだが、中島の活躍は紹介するまでもない。

ついに川上監督に並んだ。実力を比べるのは、ボクシングでいえばアリとタイソンのどちらが強いかを比べるようなものだろう。厳しくもあり、優しくもある。闘将であり、知将でもある。そのときの状況や環境によって自分自身を使い分ける「無双」の監督に思えてならない。【小島信行】