巨人原辰徳監督(62)が、「打撃の神様」で「V9監督」の川上哲治氏に並ぶ、球団史上最多タイの監督通算1066勝目を挙げた。

◆川上哲治(かわかみ・てつはる)1920年(大9)3月23日、熊本県生まれ。熊本工では甲子園準優勝2度。38年巨人入団。投手から一塁手に転向し、39年に史上最年少の19歳で首位打者。現役時代の主なタイトルは首位打者5度、本塁打王2度、打点王3度。MVP3度、ベストナイン10度。58年引退し、2年間のコーチを経て61年巨人監督就任。65~73年に「V9」を達成するなど、歴代最多の日本一11度。背番号16は永久欠番。65年野球殿堂入り。13年10月、老衰のため死去。現役時代は174センチ、75キロ。左投げ左打ち。

<川上監督アラカルト>

◆初のベロビーチ・キャンプ 監督1年目の61年、2月下旬から約1カ月間、米フロリダ州ベロビーチで初のキャンプを実施。ドジャースの練習参加や実戦を通じ、本場の動きを体感。

◆哲のカーテン 情報漏れを嫌い「この世の中で一番嫌いなものはカメラマンと新聞記者」と公言。61年2月の宮崎キャンプから選手を練習に集中させたいとの理由から、グラウンドでの取材を規制した。

◆ドジャース戦法 コーチ時代に熟読した「ドジャースの戦法」を参考に、バント守備やカットオフプレーなど、当時のプロ野球にはなじみの薄かったチームプレーをたたき込んだ。

◆選手育成 金田正一を国鉄(現ヤクルト)から獲得し、その猛練習ぶりを長嶋、王に学ばせた。柴田勲を初の本格スイッチヒッターに育て、「8時半の男」宮田征典(故人)をクローザー専門に育てた。

◆コーチスボックス 71年、ファンサービスの一環でホーム試合で一塁コーチスボックスに立つ。リーグの後半戦は苦戦が続き、勝率5割台での優勝。

◆球ぎわ 安打性の打球に1歩踏み込んで捕る、球ぎわに強い選手になるよう指導した。「球ぎわ」は川上氏の造語。