巨人の原辰徳監督(62)に「阪神戦の思い出」を聞いたことがある。

間を置かず「選手として、ではない。この試合、っていうのではないんだよね」と言って続けた。

原監督 2008年の優勝が一番印象に残っている。13ゲーム差を追い上げていって、最後の最後に逆転できた。特に9月からの時間は、実は本当に長く感じて、苦しかった。遠い差だったし、厳しい日々だった。

10月8日の直接対決に勝ってシーズン初の単独首位に立ち、優勝マジック2が点灯。86年の巨人球団史上もっとも大きな逆転劇で、阪神岡田監督は職を辞した。

第2次政権の初年度、06年から「甲子園の阪神戦で躍動してこそ、巨人軍の選手だ」の強い言葉で、何度も訴えていた。08年の優勝は、月日を費やして劣勢を押し戻し、力関係を逆転させた象徴。ここを境に殺し文句は使わなくなった。

入れ替わって、よく聞いた言葉がある。「5ゲーム以上の差が開かなくては、ゲーム差とは言わない。5ゲームなんて、すぐにひっくり返る」。

甲子園の阪神戦に快勝した後、元気いっぱいの食事会場。2・5差で首位キープを伝えるスポーツニュースを見ながら、1人険しい顔で「まだだ」とつぶやいていた。

15日の阪神戦に勝ち、政権下では最速となる残り48戦でマジック38をともした。原監督は「志半ば、戦い半ばです。マジックというのは、5ぐらい出るとちょっと意識するぐらい。まさにマジックですから」と言った。10・5ゲーム差…定義からすると、まだ5・5ゲーム差か。

「マジック5ぐらい」も必ず耳にするフレーズだが、実際はマジック5を切っても、決して威勢のいいコメントはしない。「さぁ!」と胸躍る言葉は、自力でテープを切ることができるマジック1までお預けとなる。

ゲタを履くまで分からない。最後まで気を抜いてはいけない。阪神から教わった勝負の鉄則を貫く。【宮下敬至】