26日に運命のドラフト会議が行われる。悲喜こもごも…数々のドラマを生んできた同会議だが、過去の名場面を「ドラフト回顧録」と題し、当時のドラフト翌日付の紙面から振り返る。

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<16年10月21日付、日刊スポーツ紙面掲載>

「正義 VS 翔平」の剛腕対決だ。「プロ野球ドラフト会議 supported by リポビタンD」が20日に都内で開催され、今ドラフトの目玉で最速156キロ右腕の創価大・田中正義投手(4年=創価)は、5球団競合の末にソフトバンクが交渉権を獲得した。東京・八王子市内の創価大の会場には、51社143人の報道陣と学生ら約1300人が集結。注目度NO・1の日本ハム大谷世代の剛腕は「大谷君と同じ舞台で対決できるところまで成長したい」と決意を新たにした。

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午後5時23分、田中に今年一番の笑みがこぼれた。5球団による抽選でソフトバンク工藤監督が当たりくじを引き当てると、ホッとした表情で白い歯を見せた。「思ったより緊張したけど、無事に決まって良かった。行きたかった球団の1つだし、素直にうれしかった」。16日に今秋のリーグ優勝を決めた際にもできなかった胴上げで、気持ちよさそうに宙を舞った。

自慢の直球で、大谷に勝負を挑む。野球を始めた小学校低学年から「真っすぐが速い、本格派といわれる投手が好きだった」。レンジャーズのダルビッシュ、ロッテ涌井らに憧れた。16日のクライマックスシリーズ・ファイナルステージのソフトバンク戦(札幌ドーム)で、大谷が日本最速165キロを出した場面は「感動した」。今度は自分が、ファンの心をつかむ番だ。「田中が先発だから球場に行こう、田中がいなかったら心細いな、と思われる投手になりたい」。球速の目標は「秘密で」と笑った。

ケガに悩まされても、人生を左右するビッグチャンスはつかんできた。右肩を痛めて外野手だった高校時代は4番。長打力に定評があったが、すぐに岸雅司監督(61)は見抜いた。「変化球に対応できないし、野手の顔じゃない」。田中自身も「投手じゃなければ、野球をやっている感じがしない」。投手志望だった。偶然にも思惑が一致し、1年秋の新人戦で初登板のチャンスをつかんだ。結果は7回1安打11奪三振の快投。打者のバットにボールが当たらなかった。監督は「(OBのヤクルト)小川以上だ。こんな投手見たことない」。大谷世代の大学NO・1右腕は、運命に導かれるように誕生した。

理想は「狙われても打たれない、打者に嫌がられる真っすぐ」と言った。ソフトバンクでのお手本には「バンデンハーク投手やサファテ投手にも話を聞いてみたい」と、意外な名前を挙げた。工藤監督からは「開幕投手を目指すつもりで頑張って」とエールを送られた。「本気ではないと思いますが、努力してこいということ。工藤監督のように息の長い選手になりたい」。お笑いコンビ博多華丸・大吉のファンでもある田中が、福岡と全国のファンを驚かせる。【鹿野雄太】

◆こんな人

中学時代のあだ名は「骨」だった。身長170センチで体重60キロ。周囲より小食だった。高1の夏は181センチ、67キロ。エース番号をつけた田中の歯車が狂った。

西東京大会準々決勝、巨人重信を擁する早実戦。ストライクが入らず、3回6失点で降板した。「フォームがバラバラになった」。悩んで、力んだ。直後に右肩を痛め、外野転向の屈辱を味わった。創価高の片桐哲郎監督(40)は「自信を失って故障につながった」と話す。成長期の体と心が、140キロ近い球を投げる能力についてこなかった。

妥協しない性格で壁を乗り越えた。中学の成績は、ほぼオール5。高校でも部内トップだった。野球に対しても「練習のすべてを自分のものにしたい」。栄養管理、サプリメントの摂取、筋トレ…。大学では日常生活から変えた。悔しさを糧に成長した反骨心の塊が、プロの世界に乗り込む。

▽日本ハム大谷(同い年で親交ある創価大・田中がソフトバンクに指名され)「ソフトバンク自体、強いですし今年も競っていた。対戦するとしたら打者だけど、まだ実感がないですね。ウチにも同級生は入ってくる。一緒に頑張りたいです。盛り上げられればいい」

 

※記録と表記などは当時のもの