阪神OBの大津淳氏が13日午後1時50分、肺炎のため明石市内の病院で死去した。88歳。明石高から関大に進み、日本生命を経て1955年(昭30)阪神電鉄に入社。出向の形で阪神タイガース入りし、56年から主に外野手として6シーズンプレーした。631試合に出場し打率2割4分6厘、24本塁打、194打点。

引退後はフロント入りし、日本一を遂げた85年は営業部長として貢献し、編成部長なども務めた。一時期、自宅が隣り合わせだった85年日本一監督の吉田義男氏(87=日刊スポーツ客員評論家)は「社会人時代はオール日本の代表選手として活躍されました。親しくさせていただいた先輩の一人です。フロントマンとしても商才があって、球団に多大な利益をもたらした功労者でした。ご冥福をお祈りいたします」と語った。

葬儀は故人の遺志により近親者のみで執り行い、参列、香典は辞退する。喪主は長男の大津光広氏。