4球団競合の末に、ドラフト1位で近大・佐藤輝明内野手(21)が阪神に入団した。日刊スポーツでは誕生から、プロ入りまでの歩みを「佐藤輝ける成長の軌跡」と題し、10回連載でお届けします。【取材・構成=奥田隼人】
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阪神ドラフト1位の近大・佐藤輝明内野手(21)は、大学4年間でプロ野球選手として生きていくための技術と精神力を身につけた。
関西学生野球リーグでは1年春の開幕戦から中軸としてスタメン出場を果たし、同年秋には早くも4番に抜てきされた。同リーグ4年間で14本塁打を放ち、OBの二岡智宏(現巨人軍監督)が記録したリーグ通算本塁打記録を22年ぶりに塗り替えた。
仁川学院時代には、飛ばし過ぎでロングティー禁止令が出されたことがあったが、怪力エピソードは大学でもあった。練習グラウンドでのフリー打撃で右中間のフェンスを越えてグラウンド下にある民家へ打球が飛び込むことがあった。人に当たる危険性があるため、3年生の2月から輝明だけがさらに山側に少し上がったもう1つのグラウンドで打撃練習を行うようになった。
ケガの功名で走法も進化した。2年時に大学ジャパンに選出されたが、合宿直前に足に肉離れを起こした。それを機に、関学大准教授の父博信(53)は同大陸上部で多田修平も育てたコーチに輝明の走法解析を依頼した。当時は忍者走りのようなすり足走法で足が後ろに流れやすく、肉離れなどを引き起こしやすい原因にもなっていたことが判明。足が後ろに流れない走法に矯正することで故障を予防。脚力もアップした。
近大野球部監督の田中秀昌(63)は、輝明の打撃面の成長を振り返り、「技術的には間ができて、ボールを徐々に見られるようになった。スイングの軌道もインサイドから出せるようになって、徐々に良くなった」と、分析した。入学当時は「扇風機」と例えるほど空振りが目立ったが、田中らの指導で確実性も増していった。
田中は輝明の精神面の成長にも、目を細めた。時間にルーズでマイペースな性格は大学でも変わらず、練習などへの遅刻常習犯だった。「技術があったらいいのか? そうじゃないだろ? 人として、どうあるべきか考えろ」と、口酸っぱく言い続けてきた。
4年時には責任を持たせる意味も込め、副キャプテンに指名。チームは11月の関西地区大学野球選手権を制し、有終の美を飾った。その翌日、引退となる4年生は1人1人、チームメートにあいさつ。そこで輝明は、出場機会になかなか恵まれない中でチームを引っ張った主将の谷本甲仁に「谷本、1年間ありがとう」と、感謝を伝えた。田中はその言葉に驚いた。「意外や意外でしたね。他の4年生も誰1人、みんなの前では言わないのに佐藤だけが『ありがとう』という言葉を述べたんです。なかなか彼からそんな言葉はなかったので、人間的にも非常に成長したのでは、と思いました」。
両親や恩師、周囲の人々のサポート、そして縁にも恵まれ、阪神の一員になった。地元西宮では、10月のドラフト前後で小学生の登下校風景に変化があったという。博信のもとに、近所に住む知人から1通の手紙が届いた。「明らかに阪神の帽子をかぶっている子が増えた、と書いてあったんです」。猛虎の本拠地で育ったスラッガーが、周囲の大きな期待を背負って、プロの世界に飛び込む。(敬称略、おわり)



