元阪神の60勝右腕、川尻哲郎氏(51)が今月初旬、東京・新橋で居酒屋「虎尻」(とらじり)を開店した。暗黒時代を支えた元エースの代名詞は、プロ4年目の98年5月26日の中日戦(倉敷)で達成したノーヒットノーランだ。9回2死の「あと1人」で揺れる心をセーブ。“快挙への7球”、その舞台裏にスポットを当てた。【取材・構成=酒井俊作】

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ひょうひょうとした風貌は変わらない。この冬、自らの居酒屋に「0」が並ぶスコアボードを見ながら、川尻さんは驚きの事実を明かした。「(登板の)前の日、結構、朝まで飲んでいて。周りに『川尻さん、もう、そろそろ帰った方がいいんじゃないですか』と言われて」。普段は登板前日、午前1時には外食を終える。あの日は気づけば岡山の空が明るくなっていた。

「起きて、ウオーミングアップでも体調いいなと。ベン・リベラとキャッチボールをしていて球が重い。痛いんですよ、捕るとき…。それで目が覚めたかな」

まだプロ野球に自由奔放で豪快な気質が残っていた時代だ。睡眠時間も逆算していたという。だが、まさか、あんな1日になるとは想像もしていなかった。中日相手に9回2死まで無安打無得点。「あと1人」コールが響くなか、右打ちの神野純一を迎えた。「6回くらいから打たれていない感じがあって。意外と簡単に7、8回を抑えちゃった。相手が緊張していたのか。9回になって『狙いたいな』と。(神野は)長打はないけど当てるのがうまい打者」と思い起こした。

初球の外角スライダーは大きく外れた。2球目の外角スライダーでファウル。手に汗握る快挙目前でも、意外に落ち着いていた。だが、ふと脳裏をよぎった。「東京ドームで、いつも上田二朗さんが9回2アウトから長嶋さんに打たれた映像を見ていた。それが頭に浮かんで」。巨人戦前の練習中、ビジョンで流れていた昔の映像だ。73年7月1日の巨人戦。阪神先発の上田は「あと1人」でノーヒットノーランを逃していた。気を引き締めた。

3球目は137キロのシュートでファウル。「あと1球」になっても顔色は変わらない。このスタイルで投げると決めたのはプロ1年目だ。95年の横浜戦。逆転されても笑みが出た。降板後、ベテランの木戸克彦にひどく叱られた。「この試合で選手生命をかけているヤツもいる。そういう顔をするな」。心に重しを置くようになった。ふてぶてしく、神野と向き合った。

4球目はスライダーを外角へ。神野は見逃した。きわどい球だ。球審の動きを待った。だが、ボールと判定されても浮足立たない。「この後だ。この後の球が甘くなってしまうケースがよくある。これより甘くなると打たれる」。そう言い聞かせた。ストライク欲しさにコントロールが微妙に狂うだけでも、命取りになる。スキを見せなかった。

5球目もファウルで粘られる。だが、勝負を急がない。実は1球ごと、右手で足元のロジンバッグを触っていた。「普段はそんなに触らない。慎重になっていた証拠。『マウンドでの味方はロジンしかいない』ですから」。高校時代、江夏豊の著書で触れた言葉だ。「それからずっとそうしていて。ロジンを丁寧に扱うんです」。孤独なマウンドでも動じない工夫がある。

心が試される局面は何度もやってくる。6球目。ジャイロ回転で沈む球に、神野のバットは空を切ったかに見えた。その瞬間、マスコットのトラッキーが喜び勇んで飛び出した。「これ、アウト?」。だが、捕手矢野輝弘の下を抜けるファウルチップだった。「これで打たれたらトラッキーも一生、言われるな」。張り詰めた緊張の糸が切れてもおかしくない状況でも、客観的に見渡すゆとりがあった。

最後の球は決めていた。矢野のサインに小さく首を振った。日産自動車で横手投げに転向して、右打者に最も効果的な球だ。外角スライダー。「自分の一番、悔いの残らない球を最後に選択して」。引っ掛けたゴロは遊撃今岡誠の正面へ。アウトを見届け、矢野と笑顔で抱き合った。神野への周到な7球は、マウンドに生きる姿そのものだった。

後日談がある。あの試合の敵将は星野仙一だった。7回、中日の先頭久慈照嘉の打球は、三塁前へのボテボテゴロ。デーブ・ハンセンの送球はワンバウンドで際どいタイミングだった。その瞬間、星野はベンチで言い放ったという。「エラーじゃ。ヒットやない!」。対戦相手ならノーヒットノーランの屈辱は避けたい。内野安打でも、一矢報いたい。そんな望みより、投手だった星野の本能がにじみ出た。

この話を知人から伝え聞いた川尻さんは言う。「そうなんだって思ってね。それはもう、うれしいですよね」。あの試合があって、人の潔さにも触れられた。経験や技術のすべてを注ぎ込んだ一戦は、人生につながる1日になった。

○…川尻氏がオーナーの居酒屋「虎尻」では、東京でコテコテの虎党気分を味わえる。シーズン中は店内で阪神戦を全試合中継する予定。川尻氏は「ファンの方に恩返ししたい気持ちで始めました。いろんな方が東京に寄ったとき『行こう』という店にしたい」と話した。人気メニューは、かつての外国人選手にちなんだグリーンウェルサラバやキム・アレンきゅうりなど。東京都港区新橋2の9の14三浦ビル2階。電話03・3591・3000。

◆川尻ノーノーVTR 98年5月26日の中日戦。阪神先発の川尻は1、2回を3者凡退。2回裏の攻撃では新庄剛志の適時打に続き、自らスクイズを決めて波に乗った。6回は先頭井上一樹を歩かせるなど2死三塁とされたが、李鍾範を一ゴロに斬った。スタンドの緊迫感も高まる中、8、9回も3人ずつで抑え、プロ野球66人目、77度目のノーヒットノーラン達成。三振は初回先頭の李鍾範から奪った1個だけの110球で、打たせて取る投球が光った。川尻は「バックのおかげです。まさか自分ができるとは思わなかった」と大興奮。5位に沈んでいた吉田義男監督は「今年初めて春が来た感じ」と喜んだ。

◆ジャイロボール 球の進行方向に回転軸が向くため空気抵抗が少ない。そのため浮き上がるように見えたり、高速で沈むなど、不規則な球筋になる変化球。

◆川尻哲郎(かわじり・てつろう)1969年(昭44)1月5日、東京都生まれ。日大二-亜大-日産自動車を経て、94年ドラフト4位で阪神入団。1年目からローテ入りし、97年は開幕投手。03年オフ、前川勝彦とのトレードで近鉄移籍。04年オフ、分配ドラフトで楽天移籍。05年限りで現役引退をした。通算227試合登板で60勝72敗3セーブ、防御率3・65。13年10月に独立リーグのBC群馬の監督に就任し、2年間指揮を執った。現役時代は178センチ、90キロ。右投げ右打ち。